伝記
フライ・パウル・オットーは、1925年5月31日にドイツのジークマル(現在のケムニッツ)で生まれた建築家、構造家である。ベルリンで育ち、そこで建築学を学んだ。第二次世界大戦の末期にドイツ空軍に召集され、戦闘機のパイロットとなった。眼下の街が次々と破壊されるのを見て強い衝撃を受け、「永続的」で「頑丈」であることを旨とする従来の建築観に疑問と諦めを抱いたという。終戦後はシャルトル近郊のフランスの捕虜収容所に入れられた。航空工学の素養があった彼は、資材がなく、住まいが急いで必要という状況でテントを使って住居をつくる実験を始めた。これが、膜構造の建築への関心の始まりといわれる。
戦後はしばらくアメリカで学び、エーリヒ・メンデルゾーン、リチャード・ノイトラ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエらを訪ねた。1952年からドイツで独自の活動を始め、1955年のドイツ連邦庭園博覧会の、馬の鞍の形をした三次曲面の多目的ホールで注目を浴びた。膜構造を本格的な建築構造として示したのは、1954年の博士論文『吊り屋根』であり、この吊り構造の研究で博士号を取った。ニューヨークの構造技術者の事務所では、ノースカロライナ州ローリーのドートン・アリーナの模型を見た。吊り屋根をもつ最初の大規模な構造物であり、馬の鞍型の屋根が、2本の弧状の縁のケーブルから吊られた網でできていた。
1958年にはセントルイスのワシントン大学で教え、バックミンスター・フラーと出会った。二人は、同大学で教えたこと、1967年のモントリオール万国博覧会で主要なパヴィリオンを手がけたこと、効率のよい骨組みを探究したこと、膨らませる建築を試したことなど、多くの共通点をもつ。いずれも従来の構造力学の手法を大きく超える成果を残した。1964年にはシュトゥットガルト大学の教授に就き、軽量構造研究所を設立して、退職するまで率いた。この時期の代表作に、1972年のミュンヘン・オリンピックの競技場の屋根がある。1974年のマンハイムの大屋根では、簡単に組み立てられる単純な格子構造で、驚くほど柔軟な空間をつくった。
自然から着想を得ることを好み、鳥の頭蓋骨やシャボン玉、クモの巣などを研究して、少ない材料とエネルギーで空間を覆う方法を探した。曲面の設計にシャボン玉を使った実験を行うこともあった。1972年に『生物学と建築』を出版し、さらに竹や甲殻類、シャボン玉の構造を論じ、1994年には建築の初期から現れた構造上の発明についての本も出した。晩年の仕事の一つに、紙を材料に使った2000年のハノーファー万国博覧会の日本館がある。
トーマス・ジェファーソン・メダル(1974年)、ウルフ賞芸術部門(1996年または1997年)、王立英国建築家協会のロイヤルゴールドメダル(2005年とも2006年ともされる)、高松宮殿下記念世界文化賞(2006年)を受けた。2015年のプリツカー賞は、本人に授賞が伝えられたのち、公式発表の予定の3月23日より前の3月9日に89歳で亡くなったため、発表が前倒しされて10日に公表された。ドイツ人の受賞者としてはゴットフリート・ベームに続く2人目で、授賞式は同年5月15日に死後の授与として行われる予定だった。
同じ年に亡くなった人物
- リチャード・ジョンソン (俳優) (2015年没)
- ダスティ・ローデス (2015年没)
- ウド・ラテック (2015年没)
- マルコム・フレーザー (2015年没)
- メル・ダニエルズ (2015年没)
同じ地域に関係する人物
- ゴットリープ・ダイムラー (1900年没)
- クルト・シュナイダー (1967年没)
- クリスチャン・シャド (1982年没)
- フレデリック・ションバーグ (初代ションバーグ公爵) (1690年没)
- アウグスト・ゲオルク (バーデン=バーデン辺境伯) (1771年没)