HISTORICAL PERSON · 2012年没

カルロス・フエンテス

メキシコの作家、批評家。1958年に出版した処女長編『澄みわたる土地』で早くから評価を得た。外交官の父のもと各地で育った。

生涯
2012年没
死亡地
メキシコ合衆国(メキシコシティ)
出生地
パナマ共和国(パナマ市)
出典
世界地図
メキシコ合衆国(メキシコシティ)

伝記

カルロス・フエンテスは、1928年11月11日にパナマ市で、メキシコ人の両親のもとに生まれた作家であり、批評家である。父ラファエルは外交官で、赴任先のパナマ市で生まれた。翌年からキト、モンテビデオ、リオ・デ・ジャネイロなどのアメリカ大陸の首都を転々として育った。1934年に父がメキシコ大使館の参事官として赴任したワシントンD.C.の小学校に通い、夏はメキシコシティで過ごして、母語のスペイン語と祖国の歴史を学んだ。1940年代前半にはサンティアゴ・デ・チリに、のちにブエノス・アイレスにも住み、アメリカ大陸の文化的特徴の影響を受けた。各地を巡った経験で、英語とフランス語にも堪能になった。

16歳でメキシコに戻り、首都の高校に通った。雑誌の寄稿者として書き始め、フランス系の学校の文学コンクールで最優秀賞を得た。メキシコ国立自治大学で法学を修め、ジュネーヴの国際高等研究所で経済学も学んだとされる。一方で、1949年に法律を志したがすぐに諦め、ロンドンへ旅立ったとする資料もある。1958年に出版した処女長編『澄みわたる大地』で早くも名声を獲得し、1962年に『アウラ』と『アルテミオ・クルスの死』を発表して、ラテンアメリカ文学のブームを牽引する存在となった。ガブリエル・ガルシア=マルケス、マリオ・バルガス=リョサ、フリオ・コルタサルとともに、ブームの中心的な作家の一人とされる。ほかに『聖域』『脱皮』『誕生日』、評論『メヒコの時間』などがある。

1972年にはオクタビオ・パスの紹介で、国立学院の会員になった。1970年代半ばにはフランス大使を務めた。大使として、ラテンアメリカの政治的な亡命者やスペインの抵抗運動の人々に大使館の門を開いた。1978年に、ディアス=オルダス元大統領がスペイン大使に任命されたことに抗議して、職を辞した。1977年には『テラ・ノストラ』でラテンアメリカ文学の最高の栄誉とされるロムロ・ガジェゴス賞を受けた。1987年にセルバンテス賞、1994年にアストゥリアス皇太子賞を受賞し、2003年にレジオンドヌール勲章のグラン・トフィシエ、2009年にイサベル・ラ・カトリカ勲章のグラン・クルスを受けた。2001年にはメキシコ言語アカデミーの名誉会員となり、サラマンカ大学、ハーヴァード大学、ケンブリッジ大学などから名誉博士号を贈られた。ハーヴァード大学、コロンビア大学、ブラウン大学などで教え、パリやロンドンでも教壇に立った。

37歳の1965年には、両親と同じく学者になったともされる。政治にも発言を続け、1971年のメキシコシティでの事件をめぐって、エチェベリア大統領を擁護して論争を招いた。フィデル・カストロについて好意的に語る一方で、留保も示した。2006年の選挙ではロペス=オブラドールを厳しく批判した。映画を愛し、いくつもの脚本も書いた。『老いぼれグリンゴ』や『ガラスの国境』といった小説は日本でも訳されている。晩年まで、ノーベル文学賞の候補と見られていた。ガルシア=マルケスが受賞したときには、自分や自分の世代、ラテンアメリカの小説が受賞したようなものだと語った。2012年5月15日、メキシコシティで死去した。

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