伝記
ロジェ・ガロディは、1913年7月17日にフランスのマルセイユで生まれた哲学者、政治家、作家である。若いころはプロテスタントで、父は無神論者、母方の祖母は熱心なカトリックだったといい、自らを「論争的で異端的」と称した。マルセイユの高校に学び、大学在学中の1933年、20歳でフランス共産党に入党した。1936年に哲学の教授資格試験に合格し、1953年にはソルボンヌ大学で哲学の博士号を取得した。のちにクレルモン=フェラン大学の講師、ポワチエ大学の教授などを務めた。
1939年に動員されて、ソンムで戦って戦功十字章を受けたが、帰郷後の1940年代初めにヴィシー政権に逮捕され、北アフリカのアルジェリアにある収容所に送られて、1943年2月まで収容された。戦後はアルジェのラジオ局で編集長を務め、共産党の週刊紙で働いた。1945年に党の中央委員となり、タルン県選出の共産党下院議員(1945年から1951年)、パリ選出の下院議員(1956年から1958年)、さらにパリ選出の上院議員(1959年から1962年)を務めた。党の機関誌の編集長や、マルクス主義研究の機関の長を務め、長くイデオロギー部門の理論的指導者として、党の「公式の哲学者」の一人だった。この時期、議員だったアベ・ピエール神父とも友情を結んだ。1940年からジャン=ポール・サルトルには批判的で、実存主義を「病気」と評した。スターリン批判で共産主義への信仰が揺らぎ、アルチュセールのマルクス主義に反対し、他の学派との対話を重んじた。
1968年のソ連軍のチェコスロヴァキア侵入を批判して党中央と対立し、1970年の党大会で「右翼修正主義者」として中央委員と政治局員を解任され、同年に除名された。除名後は環境主義の人々に近づき、1981年の大統領選挙に出馬する意向を示したが、候補に選ばれなかった。宗教面でも遍歴を重ね、パレスチナ人の妻と結婚したのち、1982年にイスラム教へ改宗した。同年にイスラエルがレバノンに侵攻するとこれを批判し、フランス国内の親イスラエル勢力と摩擦を生じ、出版や発言の機会が減ったと述べている。1980年にはドゥ・マゴ賞、1986年にはキング・ファイサル国際賞のイスラーム奉仕部門を受賞した。
1990年代に入ると、ガス室の実在をはじめとするホロコーストを否認する言論活動を始めた。1995年12月に雑誌の定期購読者に非売品として配った本は、翌年に自費出版され、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺は政治的に誇張された神話だと主張した。この出版は1996年に報じられ、5つの団体が告発した。1998年、パリ控訴院は人種的憎悪の扇動やホロコーストの存在への異議申立てなどについて有罪とし、執行猶予付きの禁固6か月と罰金を命じた。2000年に破毀院が上告を棄却して確定した。欧州人権裁判所への申立ても却下された。2012年6月13日に死去した。
同じ年に亡くなった人物
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