HISTORICAL PERSON · 2011年没

マリア・シュナイダー (女優)

フランス出身の女優。名優ダニエル・ジェランの娘で、1972年にマーロン・ブランドと共演した『ラストタンゴ・イン・パリ』で注目を浴びた。

生涯
2011年没
死亡地
フランス共和国(パリ / パリの15区)
出生地
フランス共和国(パリの15区)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

マリア・シュナイダーは、1952年3月27日にパリで生まれたフランスの女優である。父は名優ダニエル・ジェラン、母はルーマニア出身のマリー=クリスティーヌ・シュナイダーで、モデルをしながらパリで書店を営んでいたとされる。ジェランには妻の女優ダニエル・ドロームがいたため、マリアは私生児として生まれた。父は娘を認知せず、1970年代になって公に父親であることを認めたという。幼いころは母のもとでドイツ国境近くの町で育ったが、母が世話をしきれなくなり、2年間は乳母に預けられた。のちには母方の叔父ミシェル・シュナイダーの夫妻と数年暮らした。16歳のとき、予告なしに父を訪ねて再会している。本人は父と会ったのは3回だけだと語ったが、従姉妹の著書は、10代後半には定期的な交流があったとしている。のちには異母きょうだいとも親しくなり、とくに異母妹のフィオナ・ジェランと絆を深めた。

少女のころは映画が好きで、週に何度も映画館に通った。15歳で母と口論して家を出てパリに向かい、同じ年に舞台に立った。学校も退学し、エキストラやモデルをして暮らしを立てた。撮影現場でブリジット・バルドーと知り合い、住む家のない若い女優を見かねたバルドーが部屋を提供してくれたという。バルドーを通じてウォーレン・ベイティら映画界の人々と知り合い、ベイティの紹介で大手の芸能事務所に入った。18歳の1970年にアラン・ドロン主演の映画に出演して最初の転機をつかみ、その後はロジェ・ヴァディム監督の作品など、比較的重い役がつくようになった。

1972年、19歳で主演した『ラストタンゴ・イン・パリ』で、国際的に名を知られた。監督はベルナルド・ベルトルッチ、相手役はマーロン・ブランドである。この起用は、父のジェランがブランドの古くからの友人だったことや、監督とブランドの推薦によるものだったとされる。しかし作品は過激な性描写で物議をかもした。物語の中のバターを使った場面について、シュナイダーは撮影の直前まで内容を知らされていなかったとされ、ベルトルッチは2013年に、本物の屈辱と怒りの反応を引き出すためだったと述べた。イタリアではわいせつ容疑で監督が訴追され、フィルムの押収と焼却が命じられた。シュナイダー自身も、この作品のために波乱の女優人生を余儀なくされた。1974年にはバイセクシュアルであることを公表している。

1975年にはジャック・ニコルソンと共演して、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『さすらいの二人』に出た。ただ、撮影の途中で現場を離れる評判が立って業界で敬遠され、1970年代にはドラッグの問題や自殺未遂も経験した。『欲望のあいまいな対象』のように、途中で頓挫した作品もある。1980年代の初めには私生活も仕事も立て直し、1981年にはジャック・リヴェット監督の作品に出演した。女優の待遇と平等を訴える活動にも関わり、亡くなる数年前まで映画やテレビで脇役を務めた。2011年2月3日、ガンのため死去した。長い闘病があったとも伝えられる。従姉妹のヴァネッサ・シュナイダーが書いた伝記は2021年に邦訳され、2024年には『タンゴの後で』として映画化された。

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