伝記
聖カリトン(証聖者カリトン)は、3世紀半ばに小アジアのリカオニア地方のイコニウムに生まれ、350年ごろに没した初期キリスト教の修道士である。西方教会と東方教会の双方で聖人として崇敬され、記念日は9月28日とされる。生涯は6世紀に無名の修道士が書いた『カリトン伝』によって知られ、その記述には現代の考古学的発掘によって裏づけられる部分もある。
皇帝アウレリアヌス(在位270年から275年)の時代にキリスト教徒への迫害が起こると、カリトンは異教の神々を否認して信仰を堅く告白し、さまざまな拷問を受けた。迫害が和らいだ後、あるいはアウレリアヌスの死後に牢から解放された。殉教できなかったことを悔いたともいわれる。
275年に釈放された後、エルサレムなどの聖地へ巡礼する途中で盗賊に捕らえられ、パラン谷(ワディ・ケルトの上流)の洞窟に連れて行かれた。伝承によれば、盗賊が洞窟に置いていた葡萄酒に蛇が毒を入れ、それを飲んだ盗賊たちは死んだ。カリトンは盗賊が奪っていた金を貧しい人々に分け与え、この洞窟にとどまって隠遁修道士となった。そこに教会を建てて修道院を創設したが、これはラウラ型の修道院としては最初のものとされる。
その後、エリコ近くの誘惑の山に移り、ハスモン朝やヘロデ朝の要塞ドクの跡にドゥカのラウラを築いた。345年ごろにはテコアの谷に3つ目の修道院スカを設けた。のちに旧ラウラと呼ばれた場所である。どの土地でも名声を聞いたキリスト教徒が教えを求めて集まり、孤独の生活が乱されたことが、たびたび移った理由だったという。スカでは最終的に、ラウラの中心に近い断崖の洞窟に移り、晩年もそこで暮らして各地の修道院へ指導を続けた。この洞窟は「カリトンの吊り洞窟」と呼ばれ、遺構はイスラエルの考古学者イザール・ヒルシュフェルドによって発見された。
カリトンの意義は、ユダヤ砂漠でのラウラ型修道生活の規範を、自らの範例によって築いた点にある。沈黙のうちに暮らし、特定の食物を日没後にだけ取り、手仕事をし、夜は眠りと詩編の詠唱を交互に過ごし、定まった時刻に祈り、独居房にとどまり、思いを制するという規範は、禁欲と孤独を基調とする修道生活の特色として広く受け継がれた。伝承では『修道士剃髪の式文』も彼が編んだとされる。
同じ年に亡くなった人物
- パノポリスのゾシモス (350年(推定))
- Ambrosiaster (350年(推定))
- Paul I of Constantinople (350年)
- カルキディウス (350年(推定))
- Dexippus (350年(推定))
同じ地域に関係する人物
- ハバクク (紀元前600)
- アブー・ウバイダ (639年没)
- ユーグ・ド・パイヤン (1136年没)
- シモン (ハスモン朝) (紀元前135年没)
- バールーフ・ゴールドシュテイン (1994年没)