伝記
トリグヴェ・マグヌス・ホーヴェルモは、1911年12月13日にノルウェーのスケズモで生まれた経済学者である。日本ではT・ハーベルモーと呼ぶ人もいる。オスロ大聖堂学校に学んだのち、オスロ大学で経済学を修めた。卒業の年は1930年とも1933年ともいわれる。恩師となるラグナル・フリッシュは、第1回ノーベル経済学賞を受けた人物で、計量経済学の創始者である。ホーヴェルモはその推薦と要請でオスロ大学の経済研究所に入り、研究助手を務め、のちに同研究所の計算部門の責任者となった。
1936年にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジで統計学を学び、ベルリン、ジュネーヴ、オックスフォードにも足を運んで勉強を重ねた。1938年にはオーフス大学で1年間教壇に立ち、翌年にはアメリカで学ぶための奨学金を得て渡米した。1939年から1947年までをアメリカで過ごし、コウルズ委員会に所属した。第二次世界大戦中はニューヨークで、ノルトラシップという海運機関の統計部門で働いている。1941年にハーバード大学で「計量経済学における確率的接近法」を書き上げ、1946年にこれでオスロ大学から博士号を受けた。1947年から1948年には通商省の課長を務め、1948年から1979年までオスロ大学の経済学と統計学の教授であった。
研究の中心は、計量経済学の方法を一般性のある理論として体系化したことにある。個々の経済現象は、ほかの現象と切り離しては分析できない。経済行動を統計で測ろうとしても、ごく限られた特殊な状況での観察結果を使わない限り、測定には一方向の偏りが生じる。ホーヴェルモはこのことを論証し、測定の一般原理を明らかにした。経済行動の相互依存と確率的な関係を、経済理論と近代統計学に基づいて測定する方法論を築き、今日の計量経済学の理論的な基礎を作った。『同時方程式体系の統計的含意』(1943年)や『計量経済学における確率的接近法』(1944年)などの論文を発表したほか、1954年に経済発展の理論、1960年に投資の理論についての著書を出した。初期には1938年に補助的な合流関係の方法を論じ、1940年には動学理論を理論解と観察された循環の比較で検定することの不十分さを指摘した。1947年には限界消費性向についての論文を複数書き、ギルシックとの共著で食料需要の同時推定も論じ、1958年には経済理論の進歩における計量経済学者の役割を論じた。近代経済学の資本理論で生じていた投資と資本蓄積の関係の混乱に、問題の所在を示したことも評価された。
1989年、確率論的な基礎を明確にし、同時方程式的な経済構造を分析した功績でノーベル経済学賞を受けた。ところが受賞後のロイターの電話取材には「このような賞には感心しない」と答え、それ以上話さなかった。別の取材では、光栄ではあるがこの賞とは何の関わりもなく、現実の問題とは無関係だとも述べたという。のちにジューディア・パールは、ホーヴェルモを、経済モデルが政策を導く力を持つことに最初に気づいた人物と評し、その考えが因果推論の基礎になったと述べている。晩年はベールムのオステロースに住み、1999年7月28日にオスロで死去した。
同じ年に亡くなった人物
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