伝記
アメリオス(アメリウス・ゲンティリアヌス)は、3世紀後半の新プラトン主義の哲学者・著述家である。生年は216年から226年のあいだ、没年は290年から300年のあいだとされる。出身はトスカーナ(エトルリア)とも、シリアのアパメアともいわれるが、エトルリアに生まれてアパメアに居を定めたと考えるのが自然だとされる。古い辞典がアパメア出身の意味で呼んだのは誤りだという。
アメリオスははじめストア派に属し、リュシマコスという人物の講義に通っていたとされる。その後、アパメアのヌメニオスの著作を読んで新プラトン主義者となった。246年、ローマに来て3年目のプロティノスの講義に出るようになり、以後20年あまり、269年までその弟子であり続けた。そして269年にシリアのアパメア、すなわちヌメニオスの故郷へ引き移った。
アメリオスという名は生まれつきのものではなく、世俗への軽蔑を表すために選んだらしい。ギリシア語で「無頓着」を意味する語に通じるからである。ポルピュリオスは『プロティノス伝』に、アメリオスは「無頓着」ではなく「統一」の語から名づけられるほうが自分にふさわしいと述べ、Lの代わりにRを用いて名のりたがったと記している。
アメリオスは貪るように読み、書いた。ヌメニオスの教えをほぼすべて暗記し、その著作を集めて刊行したといわれる。また、プロティノスの講義を書き留めたノートを編み、263年までは講義録のほかには書かなかったが、これは時とともに増え、268年から269年にかけて拡充され、およそ百巻になったとされる。ポルピュリオスによれば、語録と注解は合わせて百巻を超えた。プロティノスは彼を最も鋭い弟子の一人とみなしていた。若いポルピュリオスにプロティノスの教えの正しさを納得させたのもアメリオスで、二人でプロティノスを促し、その教えを文章に書き残させることに成功した。
主な著作は、プロティノスの説は元来ヌメニオスのものだという非難に反論する40巻の論考であるとされる。ポルピュリオスの求めに応じて、両者の教えの違いを論じた書でプロティノスを剽窃の疑いから擁護したという。ポルピュリオスの異論に対して二つの書で反駁を加え、ロンギノスにあてた書簡ではプロティノスの哲学の方法を論じた。偽のゾロアストロス啓示に反対して40巻の書も著した。一方、古い百科事典の項目は、プロティノスに寄り添うが、その高い思索には及ばず、神託や供犠には師よりはるかに熱心だった思想家と評している。エウセビオスらは、アメリオスがヨハネ福音書のロゴスの定義を是認して引用したと伝える。ただし著作の多くは現存せず、エウセビオスらの引用や、プロクロスのティマイオス注解に見える意見から、その考えが知られるのみである。
同じ年に亡くなった人物
- タルススのヘルモゲネス (300年没)
- Nemesianus (300年没)
- 聖レパラータ (300年没)
- Ursus of Solothurn (300年没)
- 許褚 (300年(推定))
同じ地域に関係する人物
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- リュシアン・ボナパルト (1840年没)
- カンパヌス (1296年没)
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- ジル・デ・アルボルノス (1367年没)