伝記
ジェイムズ・エドワード・ミードは、1907年6月23日にイギリス南部ドーセット州のスワネージで生まれた経済学者である。幼いころからラテン語やギリシャ語を学び、1926年にマルバーン・カレッジを卒業した。同年からオックスフォード大学オーリエル・カレッジで古典学、政治学、経済学、哲学を学んだ。1930年から翌年にかけてケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの大学院生として経済学を研究し、そこでケインズ・サークルに参加して、ケインズ革命の一翼を担った。ケンブリッジでは、ケインズと頻繁に議論するなかで経済学への関心を深め、ケインズを疑いなく師と仰いだ。23歳でオックスフォード大学ハートフォード・カレッジの研究員に選ばれたとされ、1931年に同カレッジの講師に就任して、1937年まで同大学で研究と教育に携わった。この間、国際連盟の議長だったギルバート・マレーや、連盟の事務官だったマーガレット・ウィルソンと親交を持ち、1933年にマーガレットと結婚した。
1937年から1940年までは国際連盟の経済専門家としてジュネーブで勤め、ティンバーゲンらと出会った。1940年にはイギリスの内閣官房に入り、その経済部門を率いた。1944年にはリチャード・ストーンらとともに、国民経済計算を実際に算出し、国民所得と支出についての著作も公刊するなど、政策面でも貢献した。同年のブレトン・ウッズ会議に出席し、1947年のジュネーブ会議にはイギリス代表団の一員として出席して、国際通貨基金や関税及び貿易に関する一般協定に代表される、戦後の貿易・国際通貨体制の確立にも寄与した。1947年から1957年までロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授を務め、関税や貿易同盟、貿易協定、国際収支の管理といった問題を、ケインズの精神に沿って分析した。1957年から1967年まではケンブリッジ大学で政治経済学の教授を務め、1964年から1966年までは王立経済学会の会長となった。
最大の業績は、ケインズの経済学とヒックスの一般均衡理論を国際経済学の分析に適用し、国際経済政策の理論を打ち立てたことである。1951年に刊行した『国際収支論』では先進的な分野の理論展開を、1955年の『貿易と厚生』では規範的な理論展開を行った。1952年の『国際貿易の幾何学』では一般均衡理論の幾何学的な考察を、1961年の『経済成長の理論』では代数学的な考察を行った。完全雇用を実現するためには、国際的な貿易政策を改め、経済協力を強めるべきだと考え、保護主義的な措置を恐れた熱心な国際協力の支持者であった。また、養蜂家と果樹園主を例にした外部性の議論でも名高い。さらに、支出税の提案にも名前を残している。1965年から1971年にかけて、定常経済、成長経済、統制経済の三巻から成る総合的な著作『経済学原理』も著した。
1977年、「国際貿易に関する理論および資本移動に関する理論を開拓した業績」が称えられ、ベルティル・オリーンとともにノーベル経済学賞を受賞した。経済学者の本間正明は、ミードの名前が一般に知られるようになったきっかけは、このノーベル賞の受賞であると述べている。1995年12月22日、ケンブリッジで88歳で亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- マリア・ピア・デ・サクソニア=コブルゴ=ブラガンサ (1995年没)
- マレー・ロスバード (1995年没)
- マッティ・ペロンパー (1995年没)
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- Boris Gnedenko (1995年没)
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