伝記
ジェームズ・マーリーズは、1936年7月5日にスコットランドで生まれた経済学者である。生地はダンフリーズ・アンド・ガロウェイ地方とされ、その中のミニガフともいわれる。愛称はジムで、のちにナイトに叙せられてサーの称号を得た。エジンバラ大学で数学と自然哲学を学び、1957年に修士の学位を得て卒業した。同じ年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ進み、数学と経済学を学んだ。1963年には、リチャード・ストーンの指導のもとで書いた論文「動学的経済の最適計画」により、同大学で経済学の博士号を取得している。ケンブリッジ時代の同時代人は、マーリーズがアマルティア・センとともに学内の討論の会「使徒会」の会員だったのではないかと示唆している。
学者としての歩みは、ケンブリッジ大学での教育から始まった。1968年にはオックスフォード大学の経済学教授となり、1995年までその職にあった。この間の1968年から1976年にかけて、マサチューセッツ工科大学の客員教授を三度務め、1986年にはカリフォルニア大学バークレー校、1989年にはイェール大学でも客員教授を務めたという。1971年には、マサチューセッツ工科大学のピーター・ダイアモンドと共同で、ダイアモンド・マーリーズの効率性定理を発展させている。同じ年には、ダイアモンドとの共著で最適課税と公共生産を論じた論文を二本発表し、所得課税の最適な形を探る論文も著した。
オックスフォード大学にいた時期に、のちのノーベル賞の対象となる経済モデルと方程式を発表した。これらは経済情報が非対称で不完全な状況を扱い、それが最適な貯蓄率にどの程度の影響を及ぼすかを計算するものである。この研究はモラルハザードや最適所得課税の原理を示したものとされ、ウィリアム・ヴィックリーの著書でも、最適所得税率を導くものと評価された。その手法はこの分野の標準になったと伝えられる。1996年、マーリーズはコロンビア大学のヴィックリーとともに、情報の非対称性のもとでの経済的誘因の理論への基礎的な貢献により、ノーベル経済学賞を受賞した。1995年にはケンブリッジ大学へ戻り、2003年まで政治経済学の教授を務めた。ナイトに叙せられたのは1997年とも1998年とも記される。
その後も活動の場を広げた。2002年に香港中文大学の特別教授となり(マカオ大学の特別教授でもある)、2003年には北京大学から名誉博士号を授与された。香港中文大学の晨興学院(モーニングサイドカレッジ)では、2008年に学院長に就いたとも、2009年に創設時の学院長に任じられたともされる。2011年には、関西学院大学から名誉学位を受けた。ケンブリッジ大学の名誉教授とトリニティ・カレッジのフェローを務め、毎年数か月はオーストラリアのメルボルン大学で過ごした。スコットランドの経済諮問委員会の委員でもあり、英国の税制を見直すマーリーズ報告の取りまとめも指揮した。これは財政研究所が行った検討である。
教え子には、フランクリン・アレン、パルタ・ダスグプタ、ニコラス・スターン、ジョン・ヴィッカーズ、張維迎らがいる。本人は無神論者を自認しており、35歳のころにはもうキリスト教徒でなく無神論者だったと語っている。著書に『発展途上国のための事業評価と計画』などがある。2018年8月29日、ケンブリッジの自宅で亡くなった。82歳だった。
同じ年に亡くなった人物
- ニコライ・ボルコフ (2018年没)
- ロイ・クラーク (2018年没)
- 金庸 (2018年没)
- ジャック・ケッチャム (2018年没)
- エイドリアン・ラモ (2018年没)
同じ地域に関係する人物
- フランク・カーモード (2010年没)
- アダム・セジウィック (1873年没)
- マルコム・ウィリアムソン (2003年没)
- ハーバート・ジャイルズ (1935年没)
- ウォルター・ウィリアム・スキート (文献学者) (1912年没)