伝記
ジェラルド・ダレルは、1925年1月7日、鉄道技師だった父の任地であるインドのジャムシェドプールに生まれた。両親ともインド生まれで、母ルイーザはアイルランド系、技師の父ローレンス・サミュエルはイギリス系の血筋とされる。4人きょうだいの末っ子で、上に兄のロレンス(ラリー)とレスリー、姉のマーゴがおり、ロレンスは後に小説家として知られた。インドの暮らしでは、初めて動物園を訪れた記憶が強く残り、本人はそれが後の動物への情熱につながったと語っている。1928年に父が亡くなると、母ときょうだいとともにイギリスへ戻り、ボーンマスに移り住んだ。
1935年、一家はギリシャのコルフ島へ移り、1939年までそこで過ごした。ダレルは学校には通わず、家族の友人や家庭教師から教わり、なかでも医師で科学者、詩人でもあったテオドール・ステファニデスが師であり友となった。ステファニデスの考え方と、フランスの博物学者ジャン・アンリ・ファーブルの著作は、少年に消えない影響を与えた。二人は島の生き物を捕まえて調べ、試験管から浴槽まで使って観察したという。この島での日々は、のちに代表作の素材となる。
第二次世界大戦が始まって一家はイギリスに戻ったが、正規の教育を受けていない若者には職を得るのが難しく、水族館やペット店の手伝いをした。1943年の徴兵検査では病気を理由に兵役を免れた。戦後はホイップスネード動物園で飼育係の見習いとなり、幼い頃からの夢をかなえた。1946年5月に動物園を辞め、野生動物の捕獲遠征に加わろうとしたが、経験が足りず受け入れられなかった。そこで父から受け継いだ3000ポンドの遺産を元手に、1947年、鳥類学者のジョン・イェーランドとともに英領カメルーンへ自前の遠征を行い、持ち帰った動物をロンドンなどの動物園に売った。続いて、かつての動物園仲間ケン・スミスとともに、1949年に二度目のカメルーン、1950年に英領ギアナへ出かけた。最初のカメルーン行きでは、西アフリカのバフートの首長アチリンビ2世と親しくなり、彼はのちの遠征を助けた。
ダレルの採集は、動物に最良の餌と環境を与え、連れ帰れる数以上は捕らず、市場価格ではなく学問上の価値で選ぶというものだった。そのため3度目の遠征の後には破産状態となり、動物園関係者との行き違いもあって、英国の動物園界で安定した職を得るのは難しかった。1951年2月26日、長い交際を経て、マンチェスターに住むジャクリーン・ウルフェンデンと結婚した。
1953年に最初の著書『積みすぎた箱舟』を刊行し、1954年には『西アフリカの狩人』を出した。1956年の『虫とけものと動物たち』はコルフ島での少年時代を描いた作品で、これによって作家としての名声を確立し、のちに『鳥とけものと親類たち』『風とけものと友人たち』へと続く三部作になった。夫人とともにアルゼンチンや東南アジアにも赴き、1950年代末にジャージー島に動物園を設立し、のちに野生動物保護財団を設けて、保全活動に尽くした。日本では浦松佐美太郎が1960年に『積みすぎた箱舟』を訳し、1974年に池澤夏樹が『虫とけものと動物たち』を訳すと広く知られるようになった。1995年1月30日に没した。
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