伝記
ドロシー・ホジキンは、1910年5月12日、当時エジプト王国にあったカイロで生まれたイギリス国籍の生化学者、化学者、結晶学者である。旧姓はクローフットといい、父ジョン・ウィンター・クローフットは赴任先のカイロで監督官を務め、母グレース・クローフットは考古学者であった。10歳の頃に化学の初歩を学んで結晶や化学に興味を持ち、1921年にはイングランドのベクルズにある学校に入って、化学の授業を受けることを許された二人の女子の一人になったという。16歳の誕生日に母から物理学者ヘンリー・ブラッグの著書『物の本性について』を贈られたことで、結晶学への関心が深まった。18歳の頃にはパレスチナへ赴いて発掘作業に参加し、考古学にも関心を示している。
1928年にオックスフォード大学サマーヴィル・カレッジに入学し、化学を専攻するかたわら結晶学のコースも学んだ。1932年に卒業し、ケンブリッジ大学ニューナム・カレッジで、有機化合物のX線結晶構造解析の先駆者であったジョン・デスモンド・バナールのもとで博士課程の研究に取り組んだ。二十代半ばの頃から慢性関節リウマチを患うようになったが、研究は続けられた。1934年にオックスフォード大学へ戻って教鞭を執り、1935年にはバナールとともにペプシンの結晶から回折パターンを見いだした。1936年には大学から最初の化学の研究員兼指導教員に任命され、この職を1977年まで務めた。1937年には歴史学者のトマス・リオネル・ホジキンと結婚して、のちに3人の子をもうけた。1940年代に受け持った学生の中には、後に首相となるマーガレット・サッチャーもいた。
1945年にはC・H・カーライルとともに、コレステロール誘導体であるヨウ化コレステリルの構造を発表している。これは生体分子の三次元構造を明らかにした最初のものとされる。1941年頃から1949年頃にかけて、開発されて間もないコンピュータでX線の実験データを解析し、ペニシリンの構造を決定した。この構造は、当時の科学界の見方とは異なり、ベータラクタム環を含むことを示したとされる。1948年頃から1956年にかけてはビタミンB12の構造を決定した。この研究について、ローレンス・ブラッグは「音の壁を破るほどの意義がある」と評したと伝えられる。1953年4月には、シドニー・ブレナーらとともにオックスフォードからケンブリッジへ出向き、クリックとワトソンが作ったDNAの二重らせんの模型を見た一人でもあった。1964年には、X線回折法による生体物質の分子構造の決定によってノーベル化学賞を受賞した。1965年にはエリザベス2世から、女性として2人目となるメリット勲章を授けられている。
その後も研究を続け、1969年には、35年に及ぶ取り組みの末にインスリンの構造を決定した。1960年から1970年までは王立協会のウォルフソン研究教授を務めた。1970年にはブリストル大学の名誉総長に任命されて1988年まで在任し、同じ年に王立協会からベーカリアン・メダルを、1976年にはコプリ・メダルを受けた。ほかにも1972年にアメリカ糖尿病協会のバンティング・メダル、1982年にロシア科学アカデミーのロモノーソフ金メダルが贈られている。化学者マックス・ペルーツは、ホジキンを「偉大な化学者で、聖人」と評した。
1994年7月29日、イギリスのウォリックシャーで亡くなった。84歳であった。生誕104周年にあたる2014年5月12日には、ホジキンの分子モデルがグーグルのロゴに採用された。
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