HISTORICAL PERSON · 1990年没

フリードリヒ・デュレンマット

スイスの劇作家・推理作家。『ロムルス大帝』で成功し、グロテスクな誇張で現代社会の矛盾を描く喜劇で名声を確立した。『判事と死刑執行人』などの推理小説も書いた。

生涯
1990年没
死亡地
スイス連邦(ヌーシャテル州 / ヌーシャテル)
出生地
スイス連邦(コノルフィンゲン)
出典
世界地図
スイス連邦(ヌーシャテル州)

伝記

フリードリヒ・デュレンマットは、1921年1月5日に生まれ、1990年12月14日に没したスイスの劇作家であり、推理作家、エッセイスト、画家でもある。マックス・フリッシュとともに戦後スイスを代表する劇作家で、グロテスクな誇張表現を用いて、現代社会の矛盾や行き詰まりを描いた喜劇的な作品で名声を確立した。

ベルン郊外の小村コノルフィンゲンに、プロテスタントの牧師の子として生まれ、祖父は地元の政治家だった。1935年に家族でベルンに転居した。ベルンのギムナジウムを卒業し、1941年から、チューリヒとベルンの大学で哲学と神学、ドイツ文学などを学んだ。在学中は戦争とファシズムを新聞とラジオで知り、破局と死の物語を書いた。1943年の初めに書いた短編「拷問する者」では、世界を拷問の空間に、神を拷問者に見立てた。キルケゴールに関する博士論文の執筆も考えたが、実現しなかった。子供のころから絵が得意で、早くから画家への志望もあったため、進路に迷っていたが、1945年に短編小説が活字になったのをきっかけに、作家になることを決意し、大学を中退した。ただし、晩年まで絵画は描き続けた。

1947年に、『聖書にいわく』が初演されると、物議を醸した。以後は戯曲が作家活動の中心となり、1948年の『ロムルス大帝』で大きな成功を収めた。この1947年には、女優のロッティ・ガイスラーと結婚し、バーゼルで息子ペーターが生まれ、のちに娘バルバラとルートも生まれた。1952年からは推理小説にも手を染め、『判事と死刑執行人』や、戯曲『ミシシッピ氏の結婚』によってブームを引き起こした。1952年にヌーシャテルに居を構え、死没まで同地を作家活動の拠点とした。生活は初め苦しかったが、1952年ごろからドイツ語圏のラジオ局の依頼で、ラジオ・ドラマを書いて、状況が好転した。

ほかの代表的な戯曲に、『天使がバビロンにやってきた』、『老貴婦人の訪問』(1958年)、『物理学者たち』(1961年)などがある。『老貴婦人の訪問』は、1964年にイングリッド・バーグマン主演で映画化され、1971年にはオペラにもなった。推理作品『約束』なども映画化された。1959年にマンハイム市のシラー賞を、1960年にスイス作家協会のシラー大賞を受け、フィラデルフィアのテンプル大学、エルサレム、ニースの名誉博士号も授与された。1960年代は、メディアでの成功の頂点だった。1968年9月には、バーゼルでハインリヒ・ベルやギュンター・グラス、フリッシュら、著名な作家たちと会い、政治的な問題にも積極的に関わった。一方、『加担者』(1972年から1973年)は「失敗作」としてスキャンダルを起こし、以降は創作の中心を小説、散文作品に移した。

晩年は自伝の執筆に専念し、1981年と1990年に上下巻で刊行された自伝『素材』は、自身の文学的素材の歴史という、特異な形をとっている。1983年に妻が亡くなると、女優で、映画制作者でありジャーナリストでもあったシャルロッテ・ケルと再婚した。1990年12月14日にヌーシャテルで、69歳で亡くなり、文学的な遺産をスイス連邦に遺した。死後の2000年には、ヌーシャテルに、文学や絵画の遺稿を所蔵、展示する「デュレンマットセンター」が開館した。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物