HISTORICAL PERSON · 1989年没

ローレンス・オリヴィエ

イギリスの俳優・映画監督。アカデミー賞を受賞したシェイクスピア俳優で、20世紀の名優と称賛される。妻の一人はヴィヴィアン・リー。

生涯
1989年没
死亡地
イギリス連邦(ウェスト・サセックス)
出生地
イギリス連邦(ドーキング)
出典
世界地図
イギリス連邦(ウェスト・サセックス)

伝記

ローレンス・カー・オリヴィエは、1907年5月22日、イギリスのサリー州ドーキングに生まれた俳優、映画監督である。愛称はラリー。父ジェラルドはイングランド国教会の牧師で、のちに自伝で、「上品だが貧しく、野心を抱くには最も適した環境に育った」と記した。家族に演劇と関わる人はいなかったが、父が息子を俳優にすると決めた。3歳でロンドンに移り、母の希望で9歳のときにオール・セインツ教会の聖歌隊に入った。音楽を学びながら、演技の勉強もした。12歳のときに母が病気で亡くなった。1921年にオックスフォードのセント・エドワーズ・スクールに入り、1923年には学校劇で『夏の夜の夢』のパック役を演じて大成功を収めた。このころ俳優になると決心し、1924年、17歳でロンドンの演劇学校に入学した。

1925年にプロとしてスタートを切り、1926年にバーミンガム・レパートリー・シアターの巡業に参加して、そのまま劇団と契約した。最初は端役しかもらえなかったが、のちに『ハムレット』や『マクベス』の古典劇から新作劇まで、数々の舞台をこなした。このころ、生涯の友となるラルフ・リチャードソンと出会った。1930年にドイツの会社の作品で映画デビューし、同年、女優のジル・エズモンドと結婚した。ノエル・カワードの舞台劇『私生活』がヒットして、ブロードウェイに進出し、1931年にはハリウッドに呼ばれ、約2年間滞在した。1933年に帰国してロンドンの舞台に復帰し、1937年に映画『無敵艦隊』で共演したヴィヴィアン・リーと恋に落ちた。同年にオールド・ヴィック・シアターに加わり、『ハムレット』や『十二夜』が成功して、スター俳優としての声価を確立した。1938年には、『嵐が丘』の撮影のため渡米した。

1940年8月にエズモンドとの離婚が成立し、リーと再婚した。第二次世界大戦では海軍に志願し、航空隊のパイロットとして在籍した。1943年から1944年にかけて、国威発揚映画と『ヘンリィ五世』を監督・主演し、『ヘンリィ五世』はシェイクスピア劇の完璧な映画化と絶賛された。1944年には、ラルフ・リチャードソンとともに、ドイツ空軍のロンドン爆撃で劇場が破壊されて以来、停止していたオールド・ヴィク座の再建に尽力した。終戦後は、ヨーロッパ各地やニューヨークを巡業して、批評家に絶賛され、1947年にナイト位を授けられた。この年に製作・監督・脚色・主演した映画『ハムレット』は、1948年度のアカデミー作品賞と主演男優賞を受賞し、名実ともにイギリスを代表する名優となった。

しかし私生活では、リーの躁鬱病の発作に悩まされ続け、1957年に共演した新進女優ジョーン・プロウライトとの生活に安らぎを見出して、1960年にリーと離婚し、プロウライトと再婚した。1962年から1963年までナショナル・シアターのディレクターを務め、1970年には俳優として初めて一代貴族に叙され、「ブライトンのオリヴィエ男爵」となった。アカデミー賞には俳優として10回ノミネートされ、主演賞の9回は、スペンサー・トレイシーと並んで歴代1位である。1947年と1979年には名誉賞を受賞した。1984年に自伝を発表した。1989年7月11日、腎不全のために死去し、墓所はウェストミンスター寺院にある。

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