HISTORICAL PERSON · 226年没

Tatiana of Rome

3世紀ローマのキリスト教徒の処女殉教者。法学者ウルピアヌスにアポロンへの犠牲を強いられ、祈ると地震で像が壊れた。獅子の穴に入れられても襲われず、斬首された。聖人とされ学生の守護聖人。

生涯
226年没
死亡地
イタリア共和国(ローマ県 / ローマ)
出生地
イタリア共和国(ローマ)
出典
世界地図
イタリア共和国(ローマ県)

伝記

ローマのタティアナは、3世紀のローマで皇帝アレクサンデル・セウェルスの治世に殉教したとされるキリスト教徒の処女である。伝承が中心の人物で、確かな生涯の記録は乏しい。没年は225年か230年頃とされるが、250年とする記述もあり、一定しない。

伝承によれば、彼女は高貴なローマの家に生まれた。父はローマの官吏で、三度も執政官に選ばれたとも伝えられるが、ひそかにキリスト教徒であり、娘を信仰の中で育てた。成人したタティアナは処女のまま生きることを選び、世の富を退けて天上の富を求めた。ローマの教会の一つで女性の助祭に任じられ、断食と祈りのうちに神に仕え、病人の世話をし、貧しい人々を助けた。

アレクサンデル・セウェルスの治世には、実権が法学者ウルピアヌスの手にあったとされ、伝承は彼をキリスト教徒の迫害者として描く。タティアナは捕らえられ、アポロンの神殿に連れて行かれて、偶像に犠牲を捧げるよう強いられた。彼女が祈り始めると地震が起こり、アポロンの像は砕け、神殿の一部も崩れ落ちたという。迫害者たちは彼女の目を鉤で抉り、二日間にわたって打ち据えたが、彼女は耐え、拷問する者たちのために、神が彼らの心の目を開くよう祈った。すると刑吏たちは四人の天使が聖女を囲むのを見たといい、八人が信仰に入って彼女の前にひざまずいた。彼らはキリスト教徒であると告白して拷問を受け、処刑され、血による洗礼を受けたとされる。

翌日、裁判官の前に出た彼女の傷はすっかり癒えていた。裁きの場で再び衣を剥がれて打たれ、体を剃刀で切られたが、天使が打撃をそらして刑吏の側に向け、九人が倒れて死んだという。牢に戻された彼女は一晩中祈り、天使とともに主を讃えた。次の朝も傷はなく、前にも増して輝いて見えたため、人々は女神ディアナに犠牲を捧げるよう迫った。同意したかに見えて神殿へ連れて行かれたが、十字を切って祈ると雷鳴が轟き、稲妻が偶像と供え物と異教の司祭たちを打った。その後も拷問は続き、鉄の爪で責められたが、夜には天使が現れて傷を癒やした。さらに競技場へ引き出され、飢えた獅子が放たれたが、獅子は彼女に危害を加えず、おとなしく足元に身を横たえた。炎に投げ込まれても焼けなかったので、異教徒たちは彼女を魔女だと考えて髪を切り、ゼウスの神殿に閉じ込めた。三日目に司祭たちが入ると、ゼウスの像は砕けて床に落ち、タティアナは喜んで主を讃えていたという。裁判官はついに剣による斬首を命じた。伝承では父も、娘をキリスト教の愛のうちに育てた咎で共に処刑された。斬首の日は1月12日とされる。

タティアナは聖人として崇敬され、記念日は1月12日である。ユリウス暦に従う教会では、現在これはグレゴリオ暦の1月25日にあたる。彼女の起こした奇跡は、生まれたばかりの宗教に多くの人を改宗させたといわれる。頭蓋骨の聖遺物は1955年にビストリツァ修道院からルーマニアのクライオヴァにある聖ディミトリエ大聖堂へ移され、聖セルギオスと聖バッコスらの遺物とともに安置されている。タティアナは学生の守護聖人であり、ロシアやベラルーシでは「学生の日」として祝われる。1755年1月25日にロシアの女帝エリザヴェータがモスクワ大学の設立を裁可したため、この日は大学の創立日ともなり、のちに大学構内にロシア正教会の聖タティアナ教会が建てられた。ローマ市の守護聖人の一人ともされる。

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