伝記
アルブレヒト・アルトドルファーは、16世紀前半に活動したドイツの画家で、ドナウ派の代表的な画家である。歴史画や物語の背景としての風景ではなく、純粋な風景そのものを主題とする「風景画」を最初期に描いた画家の一人と言われる。絵画のほか、建築、写本挿絵、版画も手がけた。
生年は不詳だが、1480年頃、ドイツ南東部のレーゲンスブルクかアルトドルフに生まれたと推定される。父ウルリヒも画家で、主に写本挿絵を手がけた。その父から芸術への関心を受け継いだとされる。幼少期や修業期のことはあまりわかっていないが、現存する作品に羊皮紙に描かれたものが複数あることや作風から、アルブレヒトも写本挿絵画家として出発したのではないかと考えられている。1491年には家族とともに一旦レーゲンスブルクを離れ、北方60キロのアンベルクに移り住んだが、後に再びレーゲンスブルクに戻った。1505年には同市でマイスター(親方)として登録されており、20歳代半ばには芸術家として独り立ちしていた。初期には、小さく親密な規模の作品を、型破りな素材と風変わりな主題で制作して注目を集めた。ヤコポ・デ・バルバリやデューラーの工房から出た版画に学んだとされる。
1511年かそれ以前に、ドナウ川を下ってアルプスへ入り、その景観に深く心を動かされたという。これが、彼が近代的な意味での最初の風景画家の一人となる契機とされる。1515年頃には、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が作らせた大規模な写本『マクシミリアン祈祷書』の制作に、デューラーらとともに参加した。ドナウ川流域の丘陵と、垂れ下がるモミやカラマツの深い森を描き、朝日や夕日による劇的な色彩を好んだ。1518年から1520年頃の『橋のある風景』は、油彩による最初の純粋な風景画とも言われる。1522年の素描『木こりのいる風景』では、画面の中央に大木を据えた。人物は自然を乱すものではなく、自然に参加するものと考えていたとされる。宗教画の優れた場面は、キリストと母、あるいは聖人たちの親密な瞬間を描き、きらめく光と輝く色彩が表現主義に近づくほどの強さをもつ。宗教画の代表作は、リンツ近郊のザンクト・フロリアン修道院の『聖セバスティアヌス祭壇画』で、その一部は解体され、ウィーンの美術史美術館に所蔵されている。
アルトドルファーは1519年よりレーゲンスブルク市の参事会員などの要職に就き、1526年には同市の建築家に任命され、市の要塞にも関わった。1528年にはレーゲンスブルク市長への就任を要請されたが、制作が忙しいことを理由に固辞している。当時制作していたのは、バイエルン公ヴィルヘルム4世のための歴史画『アレクサンダー大王の戦い』で、膨大な数の人物を圧倒的な細部描写で描き、1529年に完成した。1535年にはウィーンにいたとされる。1538年2月12日、レーゲンスブルクで没した。現存する作品は、板絵55点、素描120点、木版125点、銅版78点などにのぼり、彼はすべての作品に署名と年記を入れた。レーゲンスブルクのカイザーホフの浴場のための壁画の断片も残る。1520年代の作品にはジョルジョーネやルーカス・クラーナハの影響が見られるという。
同じ年に亡くなった人物
- エステバン・ゴメス (1538年没)
- アスキア・ムハンマド1世 (1538年)
- ヘンドリック3世・ファン・ナッサウ=ブレダ (1538年)
- ジェルメーヌ・ド・フォワ (1538年没)
- インディア・カタリナ (1538年)
同じ地域に関係する人物
- ピラール・フォン・バイエルン (1987年没)
- パウル・フェアヘーヴェン (1975年没)
- ヨアヒム・フォン・リッベントロップ (1946年没)
- ジークベルト・タラッシュ (1934年没)
- ウィリー・メッサーシュミット (1978年没)