HISTORICAL PERSON · 1976年没

ルドルフ・カール・ブルトマン

20世紀を代表するドイツの新約聖書学者。福音書の伝承を様式史の方法で分析し、聖書の非神話化を提唱して、キリスト教の内外に大きな議論を呼んだ。

生涯
1976年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(ヘッセン州 / マールブルク)
出生地
ドイツ連邦共和国(Wiefelstede)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(ヘッセン州)

伝記

ルドルフ・カール・ブルトマンは、1884年8月20日に北ドイツのヴィーフェルシュテーデで、オルデンブルク福音ルター派教会の牧師アルトール・ブルトマンとその妻ヘレーネの息子として生まれた、20世紀を代表するドイツの新約聖書学者である。父は自由主義神学を支持するようになったが、母は敬虔主義的な信仰を生涯持ち続けた。本人は信仰的にはルター派で、教会での説教の奉仕も続けた。テュービンゲン、ベルリン、マールブルクの各大学で神学を学び、カール・フォン・ミュラー、ヘルマン・グンケル、アドルフ・フォン・ハルナック、ヨハネス・ヴァイスらに師事した。1910年にはパウロについての論文で博士号を取り、2年後にマールブルクで私講師となった。1916年から1920年にはブレスラウで教え、続いてギーセンに移った。1917年にヘレーネ・フェルトマンと結婚して三人の娘をもうけている。1921年にマールブルク大学の新約学正教授として戻り、1951年まで教鞭をとった。

同じ1921年の『共観福音書伝承史』では、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書を多様な伝承資料からなるものとして分析し、旧約聖書学で用いられていた様式史批評の方法を用いて、各資料の生活の座が、イエスの死後に発展した原始キリスト教の信仰と祭儀にあることを明らかにした。そこから、福音書から史的イエスの実際の姿を再現するのは歴史学的に困難で、新約聖書の本来の性格はイエスをキリストとして伝える宣教にある、という結論が導かれた。1920年代にはカール・バルトらの弁証法神学運動に加わり、従来の自由主義神学への批判を強めた。同じころ、同僚のマルティン・ハイデッガーによる現存在の実存論的分析に感銘を受け、新約聖書を実存論的に解釈する方法を模索しはじめた。1926年の『イエス』では、イエスの生涯や人となりにはほとんど触れず、史的イエスにさかのぼれるイエスの言葉に焦点をあて、現代人に実存的な応答を迫る語りかけとして解釈した。

1930年代にナチスが台頭し、主流の教会がドイツ・キリスト者の運動に傾くと、これに抵抗する告白教会の運動に加わった。反ユダヤ主義が猛威を振るっていた時代、彼の新約聖書のゼミを受講したいと望んだハンナ・アーレントとハンス・ヨナスに、ゼミで反ユダヤ主義的な言説があってはならず、もし起これば二人で一緒に処理しようと告げたという。第二次世界大戦中の1941年には学会で新約聖書の非神話化を提案した。新約聖書が前提とする世界像は現代人にはもう受け入れられないので、これを排除し、中核にある宣教を実存論的に解釈して、現代人に理解できる語りかけとして取り出そうというものである。同年、この方法を用いた『ヨハネ福音書註解』も出版した。この論争は戦後に対立を招き、1952年にはドイツ合同福音ルター派教会総会が、彼の方法に反対する監督声明を出すに至った。のち、死を迎える数年前に、同教会の監督エドワルド・ローゼが、20年前の声明に遺憾の意を表明している。

新約研究の総決算として『新約聖書神学』(1948年から1953年)を出版し、議論はキリスト教の枠を超えて、哲学や仏教などにも波及した。ケーゼマンらの門下は、ブルトマン学派を形成した。1960年代には門下が史的イエスへの態度を問い直したが、ブルトマン自身は立場を変えなかった。1976年7月30日に没し、葬儀では、故人の遺志により、神学的な解説を加えずに、神への信仰を表す聖書の言葉が読まれた。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物