HISTORICAL PERSON · 1973年没

アベベ・ビキラ

エチオピア出身の長距離走選手。オリンピックのマラソンで史上初の2大会連続優勝を果たし、サハラ以南のアフリカ出身者として初の五輪金メダリストとなった。

生涯
1973年没
死亡地
エチオピア連邦民主共和国(アディスアベバ)
出生地
エチオピア連邦民主共和国(ショア地方)
出典
世界地図
エチオピア連邦民主共和国(アディスアベバ)

伝記

アベベ・ビキラは1932年、エチオピアのショア地方の農村に生まれた。オロモ人の小作農の家に育ち、小学校には一年通っただけで、早くから家業を手伝った。幼いころから重い荷物を背負い、山道を長く歩く暮らしが、脚力と持久力を養った。19歳で皇帝ハイレ・セラシエ一世の親衛隊に入り、アディスアベバで訓練を受けた。国連軍の一員として朝鮮戦争のため釜山まで派遣されたが、ほどなく休戦となり帰国した。親衛隊での訓練中、走る速さを上官に認められ、陸上選手として競技会に出るようになった。

1957年の四軍陸上競技大会でマラソン二位となり、1960年ローマ五輪の強化選手に選ばれた。スウェーデン出身のコーチ、オンニ・ニスカネンの指導のもと、クロスカントリーやインターバル走を含む訓練を重ねた。当初は目立つ選手ではなかったが、指導内容を吸収する力を認められ、特別な練習を任された。ニスカネンはローマのコースを調べ、合宿地の近くに本番より一キロ長い練習コースを設けた。ローマ五輪では靴が壊れ、現地でも足に合う靴を見つけられなかったため、裸足でスタートした。子どものころから裸足で走り慣れていたアベベは、前半は後方に位置しながら徐々に順位を上げ、30キロ地点で先頭に立った。そのまま首位を譲らず、2時間15分16秒2の世界最高記録で優勝した。サハラ以南のアフリカ出身者として初の五輪金メダリストとなり、皇帝から勲章を受けてエチオピアの英雄として迎えられた。

五輪優勝後は世界各地から競技への招待を受けたが、ニスカネンは出場大会を慎重に選んだ。1961年には出場した三つのレースすべてで優勝し、1963年のボストンマラソンでは五位となった。勝ち続けることへの期待が重圧となり、アベベは妻に、走ればまた勝つと思われるのはつらいと漏らした。1964年の東京五輪では、競技の六週間前に盲腸の手術を受けたものの、マラソンで再び金メダルを獲得した。20キロ付近から独走し、2時間12分11秒2の世界最高記録を樹立した。五輪マラソンの二大会連続優勝は史上初であり、ゴール後に整理体操を始める姿は観客を驚かせた。アベベの優勝を機に、高地での練習が長距離走の能力を高めるという見方が広まり、陸上競技でも高地トレーニングが注目された。

1968年のメキシコ五輪にも出場したが、膝の故障や年齢による体力の衰えもあり、17キロ地点で棄権した。エチオピアの同僚マモ・ウォルデが優勝し、同国は五輪マラソン三連覇を果たした。1969年、アディスアベバから北に約70キロ離れたシャノの北方で自動車事故を起こし、第七頸椎が完全に脱臼する重傷を負って下半身不随となった。ロンドン郊外の病院で治療とリハビリを受け、帰国後もスポーツとの関わりを保った。1970年には障害者競技会に参加し、翌年にはノルウェーの障害者スポーツ週間で犬ぞりレースに出場して優勝した。1972年のミュンヘン五輪では過去の金メダリストとして招かれ、車いすで開会式に出席した。翌1973年、アディスアベバの陸軍病院で脳出血のため死去した。事故後遺症との因果関係は明確でなかった。アディスアベバにはアベベの名を冠した国立スタジアムがある。

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