HISTORICAL PERSON · 1973年没

ジェラルド・カイパー

オランダ出身でアメリカで活躍した天文学者。近代惑星科学の父と称される。

生涯
1973年没
死亡地
メキシコ合衆国(メキシコシティ)
出生地
オランダ(Tuitjenhorn)
出典
世界地図
メキシコ合衆国(メキシコシティ)

伝記

ジェラルド・ピーター・カイパーは一九〇五年十二月七日、オランダ北ホラント州のトゥイッチェンホルン村に生まれた。父は仕立屋だった。非常に鋭い視力を持ち、通常の肉眼では見えない暗い星まで観測できた。本名はヘリット・ピーテル・カイペルで、幼い頃から天文学に関心を持っていた。ライデン大学で天文学を学び、一九二七年に学位を得た後、連星の研究を続けて一九三三年に博士号を取得した。ライデン天文台では研究と観測助手の仕事を並行した。一九三三年に米国へ渡り、カリフォルニアのリック天文台でロバート・エイトケンのもと研究した。一九三五年にハーバード大学天文台の講師となり、一九三六年にはシカゴ大学のヤーキス天文台へ移った。一九三六年にサラ・パーカー・フラーと結婚し、翌年には米国市民権を得た。夫妻には一九四一年と一九四七年に子どもが生まれた。

一九四七年、カイパーはヤーキス天文台とテキサス州のマクドナルド天文台の所長に任命され、一九四九年まで両天文台を率いた。一九五七年から一九五九年にも所長を務めた。シカゴ大学では一九五〇年から一九六〇年まで教授として教えた。一九四九年にはヤーキス天文台とマクドナルド天文台で小惑星探査を始めた。天文学者として太陽系内の天体を観測し、一九四四年には土星の衛星タイタンにメタンを含む大気があることを見いだした。一九四七年には火星の大気の主成分が二酸化炭素であると突き止めた。一九四八年には天王星の衛星ミランダを、一九四九年には海王星の衛星ネレイドを発見した。ぎょしゃ座イプシロン星のモデルも、オットー・シュトルーベやベンクト・ストレームグレンと共に発表した。

一九五〇年には太陽系星雲の重力不安定から原始惑星が生じるという起源説を論じた。一九五一年には太陽系の初期に小天体が集まる円盤状の領域があった可能性を示した。海王星の軌道の外側に小天体が帯状に分布するという考えを示し、後に存在が認識され、その領域はカイパーベルトと呼ばれるようになった。彼は一九六〇年代、コンベア九百九十型機に観測装置を載せ、地上から観測しにくい赤外線の天体観測を行った先駆者でもある。一九六〇年にはアリゾナ大学に月惑星研究所を設立し、所長として亡くなるまで研究を率いた。惑星科学者カール・セーガンの博士課程も指導した。月面を歩くとどうなるかを予想し、一九六〇年代にはアポロ計画の着陸地点を選定するメンバーの一人に選ばれた。一九五九年には南天を観測する天文台の候補地を探すため、ユルゲン・シュトックをチリへ派遣し、のちにシュトックがセロ・トロロ汎米天文台の地点を見いだした。

一九五一年にジュール・ジャンサン賞を受け、一九五九年には米国天文学会からヘンリー・ノリス・ラッセル講師職を授与された。小惑星や月、火星、水星の地形には、彼の名にちなむものがある。旅行先のメキシコシティで一九七三年十二月下旬に六十八歳で心臓発作を起こして亡くなった。遺体は火葬されたが、埋葬場所は明らかにされていない。没後の一九七五年には、航空機による観測の功績からカイパー空中天文台の名が付けられ、カイパーは近代惑星科学の父とも称される。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物