伝記
アブラハム・マズローは、1908年4月1日にニューヨーク市ブルックリン区で生まれたアメリカの心理学者である。人間性心理学の最も重要な生みの親と言われ、人間の欲求の階層、いわゆる「マズローの欲求のピラミッド」の提唱で知られる。20世紀初めにポグロム(ユダヤ人迫害)を逃れてアメリカに移住した、ユダヤ系ロシア人移民の貧困家庭の長男として生まれ、下に六人の弟妹がいた。両親はキエフの出身で、多民族の労働者階級の地区に暮らし、貧しく、知的な関心は強くなかったが、教育を重んじた。ユダヤ人を嫌う不良たちに追いかけられて、石を投げられたこともあった。後年、母に対して強い嫌悪を抱くようになったと語っている。友人は従兄弟のウィルくらいしかおらず、図書館や本の中で育った。
ブルックリンの名門高校ボーイズ・ハイスクールで学び、多くの学術クラブの役員を務めて、ラテン語の雑誌の編集者にもなった。ニューヨーク市立大学シティカレッジに入学し、1926年からは、学部の授業に加えて、夜に法律学の講座を受けたが、気に入らず、ほどなくやめた。1927年にはコーネル大学に移ったが、成績の不振と費用の高さのために、1学期で去った。1928年に、まだ高校生だった従姉妹のバーサと結婚した。その後、ウィスコンシン大学に進み、心理学を学んで、1931年に修士号を取得、1934年に博士号を取得した。ウィスコンシンでの訓練は実験的、行動主義的で、霊長類の支配行動や性についても研究したが、修士論文は、言語材料の学習と保持についてのもので、彼自身は、恥ずかしいほど些細な研究だと考えていた。
コロンビア大学では、フロイトの初期の同僚アルフレッド・アドラーを師と仰いだ。1937年にニューヨーク市立大学ブルックリン校の教授として招かれ、着任し、1951年まで在職した。第二次世界大戦後は、心理学者たちがどのように結論に達したのかを疑い、自分なりの考えを展開した。それを「人間性心理学」と呼んだ。1941年にアメリカが参戦した時、彼はすでに33歳で二人の子供があり、兵役の対象外だったが、戦争は彼に平和への展望を与え、自己実現を研究する画期的な研究につながった。人類学者ルース・ベネディクトとゲシュタルト心理学者マックス・ヴェルトハイマーを、専門的にも個人的にも敬愛し、この二人の振る舞いを書き留めたことが、のちの生涯にわたる研究の出発点となった。
1951年にユダヤ系の大学として有名なブランダイス大学に移り、1969年まで在職した。1962年にヒューマニスティック心理学会を設立し、1967年から1968年にかけてアメリカ心理学会の会長を務めた。1967年には「今年のヒューマニスト」にも選ばれ、1969年には、スタニスラフ・グロフとともにトランスパーソナル心理学会を設立している。自己実現、創造性、価値、美、至高経験、倫理など、従来の心理学が避けてきたテーマの研究に道を開いた。その理論は心理学のみならず、経営学や看護学でも言及される。一方で、科学的な厳密さを欠くという批判を受け、5段階の欲求の図式は、西洋的な価値判断に偏っているとも非難された。1970年6月8日、心臓発作のため亡くなった。人間性心理学に対応した哲学・倫理学を打ち立てるという学術的な企ては、未完のままに留まった。
同じ年に亡くなった人物
- A.H.M.ジョーンズ (1970年没)
- ドラ・ブースビー (1970年没)
- ルドルフ・カルナップ (1970年没)
- シドニー・チャップマン (1970年没)
- ナタン・アルテルマン (1970年没)
同じ地域に関係する人物
- ネラ・ウォーカー (1971年没)
- エリザベス・テイラー (2011年没)
- キャサリン・ヘルモンド (2019年没)
- ジェリー・バス (2013年没)
- アンドリュー・ダガン (1988年没)