伝記
エリザベス・ロズモンド・テイラーは、1932年2月27日にロンドン北西部のハムステッド・ガーデン・サバーブで、二人兄妹の妹として生まれた女優である。両親はともにアメリカ人で、父フランシスは画商、母サラは舞台女優だったが、結婚した1926年に引退した。兄ハワードは1929年生まれだった。一家の親しい友人で、チャーチルの親友でもある裕福な国会議員ヴィクター・カザレットが名付け親となり、一家に大きな影響を与えた。伝記作家アレクサンダー・ウォーカーは、テイラーが27歳でユダヤ教に改宗し、生涯イスラエルを支持した理由を、こうした幼少期の体験にあるのではないかとしている。イギリスと、両親の出身国アメリカとの二重国籍を持っていた。
第二次世界大戦の直前に、一家は戦火を避けてアメリカへ戻ることを決め、1939年4月に母と子供たちがニューヨークに着いた。父は11月に合流し、一家はロサンゼルスに落ち着いて、父はイギリスから持ち込んだ絵画を展示するギャラリーを建てた。このギャラリーはハリウッド関係者の評判になり、金銭と名声に満ちた世界への扉を開いたとウォーカーは記す。母サラは、ハリウッドが未来のスターを探していることに気づき、『風と共に去りぬ』の子役の誘いなどはいったん断った。しかしやがて、ユニバーサルとMGMがテイラーを争うことになり、ユニバーサルが7年契約を結んだ。出演作は1942年の1本だけで、1年足らずで契約は解消された。配役担当は「この子には何もない」「目があまりに大人びすぎている」と漏らしたとされる。
MGMが名犬ラッシーの映画に出る英国人の子役を探していることを、父が知り、テイラーはこの映画に出て、1943年からの長期契約を結んだ。『名犬ラッシー 家路』で生涯の友となる子役ロディ・マクドウォールと共演し、二人とも好評を博した。MGMは週給100ドルで7年の出演契約を結んだ。1944年12月公開の『緑園の天使』のヴェルヴェット・ブラウン役で、12歳にして子役スターとなった。馬を調教してグランドナショナルで優勝することを夢見る少女の役で、興行収入は400万ドルを超えた。撮影中の落馬で痛めた背中は、後に様々な悪影響を及ぼした。確実にヒットを飛ばし、NGを出さず一度で決めることから「ワンショット・リズ」と呼ばれた。1949年の『若草物語』のエイミー役が、最後の少女役となった。
成人後は、『花嫁の父』(1950年)、『陽のあたる場所』(1951年)、『ジャイアンツ』(1956年)、『熱いトタン屋根の猫』(1958年)、『去年の夏 突然に』(1959年)などに出演し、1960年の『バターフィールド8』でアカデミー主演女優賞を受けた。『クレオパトラ』(1963年)で共演したリチャード・バートンと結婚し、共演作は『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)など11本にのぼり、この作品で2度目のアカデミー主演女優賞を受けた。1970年代半ばから出演は減った。私生活は、8度の結婚と生命に関わる闘病で知られた。1985年に米国エイズ研究財団の創設メンバーの一人となり、1993年にはエリザベス・テイラー・エイズ基金を創設した。AFIが選ぶ映画スターベスト100の女優部門では第7位とされる。2011年3月23日、鬱血性心不全のため79歳で死去した。
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