伝記
エピクテトスは、ローマ帝国期のギリシア人ストア派の哲学者である。50年ごろに小アジアのフリギアのヒエラポリスで生まれ、135年ごろに没したとされるが、没年には125年ごろまたは130年ごろとする説もある。名前はギリシア語で「買われた者」「僕(しもべ)」を意味するという。母は奴隷階級だったらしく、彼自身も奴隷としてローマへ売られ、皇帝ネロの解放奴隷エパプロディートスの持ち物となった。ローマでの生活は健康的ではなかったと伝えられる。
主人エパプロディートスは、彼が高名なストア哲学者ムソニウス・ルフスのもとで学ぶことを許した。ネロの死後まもなく、詳しい事情はわからないものの奴隷の身分から解かれ、自由人となって哲学の教師になった。ローマでの暮らしは質素で、扉の開いたままの粗末な家に、机と藁布団があるだけだったという。鉄の灯火を盗まれた話が残っており、ルキアノスによれば、彼の死後、その灯火を高値で買った崇拝者がいたという。89年、皇帝ドミティアヌスが哲学者をイタリアから追放する令を出したため、彼はローマを離れ、ギリシア西部エピルスの大都市ニコポリスに落ち着いて学校を開いた。この学校は大成功を収め、対話と問い直しを通じて教えたという。同時代の人々は教えの質に最大の敬意を払ったらしく、皇帝ハドリアヌスが訪問したという伝えもあるが、これは疑わしいとする見方もある。彼は短い旅行を除いて、亡くなるまでニコポリスで暮らしたと考えられている。
晩年のエピクテトスは片足が不自由で、そのことは『語録』でも何度か触れられている。原因はエパプロディートスによる虐待だと語られることがあるが、『語録』は理由を述べておらず、はっきりしたことはわからない。老いのためではないかとの推測もある。
彼自身は著作を残さなかった。若いころ彼のもとで学んだアッリアノスが、講義の言葉を「できるだけそのままの言葉で」書き留めたものが、『語録』として広まった。もとは八巻だったが、現存するのは前半の四巻である。アッリアノスは要点をまとめた『提要(エンケイリディオン)』も残した。五十三の短い章からなり、生き方と心の持ち方を扱う実践的な内容である。その遺産は、11世紀または12世紀の一つの写本を通じて伝わったとされる。
教えの中心は倫理で、実践が何より重んじられた。私たちの力の及ぶことだけに心を向け、運命が定めたことを受け入れれば、幸福に近づけると説く。人は社会的な存在なので、置かれた境遇にかかわらず務めを果たし、他人をも理性的で善意ある態度で見なければならないとした。苦難の中でも平静を保つことや、人類の平等を説くその教えは、皇帝マルクス・アウレリウスの思想にも引き継がれた。ローマの哲学者ユニウス・ルスティクスが彼に学び、のちにマルクス・アウレリウスにストア哲学を紹介したと考えられている。『語録』と『提要』は、すべてのストア哲学の文献のなかで、おそらくもっとも広く読まれ、影響力の大きいものだといわれ、ストア主義の歴史のうえで重要な意味を持つとみなされている。日本でも『語録』は『人生談義』の題で岩波文庫に収められ、読み継がれている。
同じ年に亡くなった人物
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- スミュルナのテオン (135年没)
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