伝記
アグネス・フォン・クレーフェは、ビアナ公カルロスの妃である。1422年3月24日、クレーフェ公アドルフ1世と、ブルゴーニュ公フィリップ3世の姉マリー・ド・ブルゴーニュの娘として生まれた。アドルフ1世には3男7女の10人の子がおり、アグネスはその3番目だった。
ナバラ王配フアン(のちのアラゴン王フアン2世)は、長男カルロスの結婚相手を探し、最終的にブルゴーニュ公フィリップ3世の姪であるアグネスを選んだ。歴史家ラカーラは、この選択は政治面でも経済面でも良い選択とは言えなかったと述べている。クレーフェ公家は裕福ではなく、その財産はすべてブルゴーニュ家からもたらされたものだったからである。アグネスは船でナバラへ向かい、ビルバオで上陸して、ナバラのマルタ騎士団の団長フアン・デ・ボーモントに出迎えられた。そこからエステーリャへ向かった。カルロスとの結婚式は、1439年9月30日にオリテで行われた。同時代の年代記によれば、結婚を祝って、パーティーや晩餐会、ジョストなどが催された。
カルロスの母であるナバラ女王ブランカ1世は、この義理の娘を、すぐに宮廷の敬虔な生活に導き、サン・サトゥルニーノ教会の聖カタリナの兄弟会の一員とした。この兄弟会には王子や王女も加わっていた。聴罪司祭が定められ、ブランカは王子や王女とともに、ウフエへの巡礼にも彼女を連れていった。一方、アグネスは、15世紀にその贅沢さや祭り、気まぐれさで最も有名だったブルゴーニュ宮廷の流行と趣味を、ナバラの宮廷にもたらした。
1441年にブランカ1世が亡くなると、カルロスがナバラ王国の国王代理をつとめた。ラカーラによれば、1448年にアグネスが亡くなるまでの間が、カルロスにとって最も幸せな時で、オリテの王宮が最も活気にあふれていた。取るに足らない理由でパーティーや晩餐会が企画された。カルロスとアグネスは、ブランカ1世の死後に王と王妃になるはずだったが、王配フアンがカルロスの王位継承の権利を認めなかった。
アグネスとカルロスの間に子はなかった。ただし、カルロスは宮廷の侍女マリア・デ・アルメンダリスとの間に、娘を一人もうけていた。アグネスは1448年4月6日に、26歳で亡くなった。その後、カルロスの再婚話がいくつか持ち上がり、ポルトガル王女カタリナとの婚約もあったが、実現せず、カルロスは再婚しないまま1461年に亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- テオドロス2世パレオロゴス (1448年没)
- アドルフ1世 (クレーフェ=マルク公) (1448年没)
- クリストファ3世 (デンマーク王) (1448年没)
- ヨハネス8世パレオロゴス (1448年没)
- Vidyapati (1448年)
同じ地域に関係する人物
- グアダルーペ・オルティス・デ・ランダスリ (1975年没)
- アンドレゴト・ガリンデス (972年没)
- パスクアル・マドス (1870年没)
- カルロス2世 (ナバラ王) (1387年没)
- バルタサル・アルベニス (1978年没)