HISTORICAL PERSON · 1437年没

ニッコロ・ニッコリ

ルネサンス期の蔵書家、人文主義者。メディチ家のコジモの支援を受け、全財産を書物の獲得に注ぎ込んだ。没後コジモが蔵書を基礎にサン・マルコ修道院に図書館を創設した。筆記の書体はイタリック体のもとになった。

生涯
1437年没
死亡地
イタリア共和国(フィレンツェ県 / フィレンツェ)
出生地
イタリア共和国(フィレンツェ)
出典
世界地図
イタリア共和国(フィレンツェ県)

伝記

ニッコロ・ニッコリは、1364年ごろにフィレンツェで生まれた、ルネサンス期イタリアの人文主義者であり、名高い蔵書家である。羊毛の取引で栄えた裕福な家に生まれ、父はバルトロメオ・ニッコリで、一家はサント・スピリト地区で6番目に富裕だった。父の死後、6人兄弟の長男として家業を継いだが、1390年にこれを手放し、人文学の研究に打ち込むようになった。

古代の文化に熱中し、その研究と収集に残りの生涯をささげた。サント・スピリト修道院で、ルイージ・マルシリの影響のもと人文主義を学んだ。同時代の作品や中世の文化より古代の作品を好む、強い古典主義の趣味を育てた。古代の遺産を取り戻し守ろうとする努力のなかで、地理学、正書法、貨幣学にも関心を寄せた。フィレンツェ共和国の書記官長コルッチョ・サルターティを囲む学者の輪に加わり、レオナルド・ブルーニ、ポッジョ・ブラッチョリーニとともに、ペトラルカやボッカッチョの作品を論じ合った。約40年にわたって、フィレンツェの人文主義の集まりの有力な一員であった。古代に憧れ、その気分を妨げるものは身のまわりに一切寄せつけなかったという。

筆耕にも抜群の力を示し、注文に頼らず、自分で書物を書き写した。ギリシャ語は得意ではなかったので、ギリシャ語の本文はアンブロージョ・トラヴェルサーリに助けられた。30年を超えて、ポッジョ・ブラッチョリーニとともに、ラテン語の書き方と文法の改革に取り組んだ。1420年ごろの彼の筆記には、イタリック体の原型が見られ、この書体は教皇庁の尚書院で、教皇書簡や外交書簡に公式に用いられるようになった。

蔵書は、ポッジョ、トラヴェルサーリ、コジモ・デ・メディチの3人の助けで、数十年かけて築かれた。古代の著作が失われたのち見つかるたび、彼のもとへ送られた。ニッコリは全財産を書物の獲得に注ぎこんだとされ、無一文になれば、メディチ家がいくらでも融通した。蔵書は800冊をこえるとポッジョは見積もり、ギリシャ語とラテン語の2つの部に分かれて、当時で最も豊かなギリシャ古典の蔵書だった。ポッジョらが修道院を回り、修道士を買収して写本を手に入れる間、ニッコリはフィレンツェにいて、成果を受け取っていたという話もある。

1437年1月22日にニッコリが亡くなると、蔵書は、すべての学者と市民が読み、写せるように、公共の図書館のために遺された。遺言は2通あり、16人の管財人の委員会を作って書物と図書館を管理させ、修道士が本を売ることも、修道院の外へ貸し出すことも禁じた。蔵書はドミニコ会のサン・マルコ修道院に託され、コジモが条件の実行を任されて、1444年にミケロッツォによる新しい図書館が建てられた。現在は、ローレンツィアーナ図書館に収められている。

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