伝記
ジョーン・オブ・ナヴァールは、1370年ごろにパンプローナで生まれた、イングランド王ヘンリー4世の2番目の王妃である。フランス語名はジャンヌ・ド・ナヴァールという。ナバラ王カルロス2世と、フランス王ジャン2世の娘である王妃フアナの娘で、兄にのちのカルロス3世とモルタン伯ピエールがいる。誕生のとき、父は不在で、フランスのエヴルー伯領に呼ばれていた。幼少期の様子は1381年まで分かっていないが、この年にフランスにいた彼女は、ブルトゥイユ城で捕らえられ、兄弟とともにパリの王の宮廷で、父の行いの保証として人質になった。父は敗れてフランスの所領を奪われ、数か月の拘束ののち、子供たちを取り戻した。
1382年から1383年にかけて、カスティーリャ王フアン1世が妃を亡くし、ジョーンとの結婚を考えたが、この話はフアン1世自身が取りやめ、ベアトリス・デ・ポルトガルと結婚した。1386年、ジョーンは、ブルターニュ公ジャン4世と結婚した。フランスの摂政たちが、公がイングランドの女性と3度目の結婚をするのを防ごうとして、持ちかけた縁組であった。彼女は公の心を早くつかみ、1393年の公とフランス王シャルル6世の和解に重要な役割を果たした。9人の子が生まれた。
1398年、のちのヘンリー4世となるヘンリー・オブ・ボリングブルックが、リチャード2世に追放されてブルターニュに身を寄せたとき、公爵夫人だったジョーンを見そめたといわれる。翌1399年にボリングブルックはリチャード2世を廃してヘンリー4世となり、同じ年にジャン4世が死去した。ジョーンは長男ジャン5世の摂政を務めたが、1402年4月に代理人を通したヘンリー4世との再婚に応じた。ブルターニュから抗議が上がると、ジョーンは摂政の座を、叔父のブルゴーニュ公フィリップ豪胆公に譲り、子供たちもブルターニュに留められた。1403年に、亡き夫との子らをブルターニュに残してイングランドへ渡り、2月にウィンチェスター大聖堂で正式にヘンリー4世と結婚した。2人の間に子はなかったが、夫婦仲はよく、ジョーンは王と先妻の子供たちにも愛情を注いだという。
1413年にヘンリー4世が亡くなったあとも、厚遇は変わらず、継子ヘンリー5世は寡婦年金を支給し、実の母のように慕った。しかし1415年に百年戦争が再開され、アジャンクールの戦いで、フランス側で戦った娘マリーの夫アランソン公ジャン1世が戦死し、次男アルテュールは捕虜となってイングランドへ送られた。1419年、ジョーンは妖術で王を殺そうとしたとして告発され、財産を没収されて、イングランド南部のペヴンジーに幽閉された。3年ほどの幽閉ののち釈放され、継子ヘンリー5世の子ヘンリー6世のもとで財産も戻り、静かな余生を送った。1437年に亡くなり、カンタベリー大聖堂に眠る夫のそばに葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- ニッコロ・ニッコリ (1437年没)
- ジギスムント (神聖ローマ皇帝) (1437年没)
- ジェームズ1世 (スコットランド王) (1437年没)
- キャサリン・オブ・ヴァロワ (1437年没)
同じ地域に関係する人物
- 森嶋通夫 (2004年没)
- ウィリアム・バード (1623年没)
- ラブ・バトラー (1982年没)
- エディス・ピーチー=フィプソン (1908年没)
- ヘンリー・シジウィック (1900年没)