伝記
ハーフェズは、14世紀のイランの詩人で、通称をハーフェズ(ハーフィズ)といい、本名はハージャ・シャムスッディーン・ムハンマドという。生没年は1325年ないし1326年から、1389年ないし1390年とされる。「ハーフェズ」はクルアーンの全114章をすべて暗誦できる者を意味し、美声でクルアーンを朗誦する者の意味もある。詩人が実際に暗記者であったのか、作品にクルアーンの章句を思わせる表現が満ちているためにこう呼ばれたのかは分からないが、この雅号は、敬虔さと非凡な記憶力を印象づける。後世には、尊敬を込めて「不可思議の舌」や「神秘の翻訳者」とも呼ばれた。
生涯についての、文献学的に確証のある情報はほとんどない。後の詩歌アンソロジーに付された略伝には、さまざまな逸話が書かれているが、欧米のペルシア文学研究の礎を築いたE・G・ブラウンは、それらをすべて虚構と言ってよいと述べた。生涯を再構成する根拠とされてきたのは、詩人自身の作品と、没後に詩をまとめたゴルアンダームの序文である。父の名は写本によって異なり、どちらも信頼性が低い。少なくとも一人の息子がいたようだが、その根拠も作品の中にしかない。生年については諸説があり、伝統的には1326年とされるが、1317年説や1315年説もある。
ハーフェズは、シーラーズに生まれ、同地で亡くなった。同郷で約100年前のサアディーが、青年期に町を出て諸国を遊学したのとは対照的に、シーラーズを愛し、生涯ほとんどこの町を離れなかった。生きたのは、モンゴルの侵入とティムールの侵入のはざまの時代で、政治的には不安定だったが、文化的には実りの多い時代であった。彼は、イルハン朝最後の君主アブー・サイードの治世に生まれた。その死後は各地に地方政権が分立し、シーラーズの支配者は何度も入れ替わった。彼の頌詩的な詩句には、インジュー朝やモザッファル朝、ジャライル朝のさまざまな君主が登場する。中でも、モザッファル朝のシャーショジャーが最も重要な人物だったと思われ、頌詩的内容の詩句を含む70編のうち、39編が彼をたたえるものである。
名声の中心は、「ガザル」と呼ばれる形式の抒情詩である。この形式は彼の発明ではなく、数百年前からアラビア語詩の世界で詠まれてきた。一般的には愛をうたうものであるが、世の偽善を暴く内容のものもある。恋と酒と自然の美を主題とした作品が多く、民衆に広く愛され、現代でも「コーランなくとも各家庭にはハーフェズ詩集あり」とまでいわれる。ヒジュラ暦770年(西暦1368年)に自らディーワーン(詩集)を制作したと言われるが、客観的な証拠はなく、知られる異本は1000種に及ぶ。時代が下るほど収録作品は増え、他の詩人の作品も紛れ込んだ。もとは500ほどのガザルがあったと推定される。
後世への影響は大きい。15世紀の詩人ジャーミーは、ハーフェズの詩集はスーフィーが読むに値する最良の本だと述べた。ゲーテは晩年、その詩に感銘を受けて『西東詩集』を綴り、日本にも、黒柳恒男による訳がある。現代イランでは、詩集を開いて偶然出たページの対句から隠された意味を読み取る「ハーフェズ占い」が盛んで、冬至の夜に行う習慣がある。10月12日は「ハーフェズ記念日」とされている。
同じ年に亡くなった人物
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- ドミートリー・ドンスコイ (1389年没)
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