伝記
ギヤースッディーン・トゥグルク2世は、デリー・スルタン朝のトゥグルク朝の第4代スルタンである。生まれた年はわからず、1389年に殺された。在位は1388年から1389年までで、治世は5か月と18日であった。もとの名はトゥグルク・ハーンという。第3代スルタンのフィールーズ・シャー・トゥグルクの曾孫とされるが、孫とする記述もある。父はファトフ・ハーンで、曾孫とする場合の祖父は、フィールーズ・シャーの長男で後継者と目されていたフィールーズ・ハーンである。
1388年9月にフィールーズ・シャーが亡くなると、そのあとを継いで即位した。即位はフィーローザーバードの宮殿で、数人の貴族の助けを得て行われ、ギヤースッディーン・トゥグルク・シャーと名のった。マリク・フィールーズを宰相とし、ハーン・ジャハーンの称号を与え、ギヤースッディーン・ティルミズィーを武具の係に任じた。しかし即位してすぐに、後継争いが起こった。フィールーズ・シャーの子ムハンマド・シャーが、甥のアブー・バクル・ハーン(ザファル・ハーンの子)の助けを得て王位を主張したのである。トゥグルク・ハーンは大叔父にあたるムハンマド・シャーに向けて軍を送り、シルムールの山麓に至った。ムハンマド・シャーは短い戦いののち、カーングラーの城塞に逃げこんだ。トゥグルク・ハーンの軍は、険しい地形で攻めるのが難しいとして、それ以上は追わずデリーに戻った。
やがて、トゥグルク・ハーンは政務を捨てて遊興にふけり、弟を牢に入れ、近い立場の貴族や大臣たちを虐げたと伝えられる。恐れを抱いたアブー・バクルは、宰相代理のマリク・ルクヌッディーンらの貴族とともに、トゥグルク・ハーンを殺す計画を立てた。一派はフィーローザーバードでマリク・ムバーラクを殺し、トゥグルク・ハーンの宮殿を囲んだ。トゥグルク・ハーンは宰相の助けで裏門から逃れたが、追いつかれて捕らえられ、宰相とともに殺された。2人の首は同じ門の上に掲げられた。1389年2月のことで、日は20日ともされ、3月14日とする記述もある。そのあと、アブー・バクル・シャーが新たなスルタンとなった。
同じ年に亡くなった人物
- ムウタスィム (1389年没)
- Yakub Celebi (1389年)
- Gulcicek Hatun (1389年)
- ハーフェズ (1389年没)
- 王禑 (1389年没)
同じ地域に関係する人物
- Usha Mehta (2000年没)
- ゼーブンニサー・ベーグム (1702年没)
- Shanti Swaroop Bhatnagar (1955年没)
- モハメド・ヤクブ・ハーン (1923年没)
- ムハンマド・シャー (サイイド朝) (1445年没)