伝記
クレスケス・アブラハムは、14世紀の地図製作者で、当時アラゴン連合王国に属していたマリョルカ島のパルマに暮らしたユダヤ人である。1325年に生まれ、1387年に亡くなった。息子のユダ・クレスケスとともに、名高い「カタロニア図」(1375年)をつくったとされる。
クレスケスは、地図づくりの名匠であり、時計やコンパス、航海用の器具もつくった。マリョルカ島の地図製作の流派を代表する1人だった。祈りの場で用いるヘブライ語の名は、「ラビ・アブラハムの子で、ラビ・ベナビステの子、ラビ・エリシャの子であるエリシャ」という。クレスケス・アブラハムという通称は、アブラハムが父の名であることを表すが、後世の文献では名と父の名の順が入れ替えられることが多い。息子のユダも、名の知れた地図製作者だった。
1375年、のちのアラゴン王フアン1世にあたるアラゴンのフアン王子は、クレスケスと息子のユダに、海図一式の制作を依頼した。当時のふつうの航海用海図(ポルトラーノ)が扱う範囲を超えて、東方と西方、そしてジブラルタル海峡から西へ続くすべてを描くというものだった。王子と父ペドロ4世の記録によれば、報酬はクレスケスに150アラゴン金フロリン、ユダには60マリョルカ・ポンドが支払われた。王子は、この海図を、のちのフランス王シャルル6世となる従弟シャルルへの贈り物にするつもりだった。クレスケスとユダは同じ1375年に、パルマのユダヤ人街にあった自宅で、カタロニア図を構成する6枚の図を描いた。
クレスケスの作と確実に見なされている地図は、このカタロニア図だけである。研究者は、ほかに現存する5点の地図、つまり4点のポルトラーノ海図と世界図の断片が、クレスケスか、ユダか、その工房の別の者によるものではないかと考えている。いずれも署名も日付もなく、1375年から1400年のあいだにつくられたと推定されるが、クレスケスの工房の作とする説は仮のものにとどまる。また、クレスケスは、ヘブライ語とカタロニア語の辞書を付けた彩色写本の聖書もつくった。これはファルヒ聖書として知られる。
同じ年に亡くなった人物
- Joanna, Duchess of Durazzo (1387年)
- カルロス2世 (ナバラ王) (1387年没)
- ペドロ4世 (アラゴン王) (1387年没)
- サヤナ (1387年没)
- ピエール・ド・リュクサンブール (枢機卿) (1387年没)
同じ地域に関係する人物
- シンシア・レノン (2015年没)
- ベルト・ケンプフェルト (1980年没)
- Dietmar Schonherr (2014年没)
- デンホルム・エリオット (1992年没)
- ロバート・マイルズ (2017年没)