伝記
カルロ3世は、1345年にナポリで、アンジュー家の傍系の生まれとして世に出た。父はグラヴィーナ伯ルイージで、ナポリ王ロベルトの末弟ドゥラッツォ公ジョヴァンニの次男にあたる。ナポリ王カルロ2世の曾孫でもあった。アンジュー家は、カルロ2世がハンガリー王女マリアを妃に迎えて以来、ナポリとハンガリーの2つの系統に分かれて王位を治めていた。ナポリ女王ジョヴァンナ1世の時代、ナポリでは不安定な状態が続き、ルイージはたびたび反乱を指揮した。1362年にルイージは捕らえられ、まもなく処刑された。残された幼いカルロは、皮肉にもジョヴァンナ1世の宮廷に引き取られたが、教皇の介入により、1365年に、ハンガリー王ラヨシュ1世のもとに預けられた。カルロはヴィシェグラードで育ち、ハンガリーの宮廷で多くの支持者を得た。
1369年、カルロは従妹のマルゲリータ・ディ・ドゥラッツォと結婚した。マルゲリータは、ジョヴァンナ1世の妹マリアの娘で、女王の姪にあたる。妃との間には、1男2女が生まれた。マリア(1369年生)、のちのナポリ女王ジョヴァンナ2世(1373年生)、のちのナポリ王ラディズラーオ(1377年生)である。1371年から1376年には、スラヴォニア公として国を治め、王から高く評価されたという。
ラヨシュ1世は、ナポリ王位を狙ってジョヴァンナ1世と敵対していた。1378年に教会大分裂が起こると、カルロはローマ教皇ウルバヌス6世からナポリ王位を承認されたが、アヴィニョンの対立教皇クレメンス7世は、ジョヴァンナの養子ルイ・ダンジューをナポリ王とした。1382年、カルロはラヨシュ1世の命を受けて、ハンガリーの軍勢とともにナポリを攻め、ジョヴァンナ1世を殺害し、ナポリ王カルロ3世となった。1383年には教皇ウルバヌス6世との関係が破れた。ウルバヌスがナポリを訪ねた際に不和が生じ、教皇は力ずくで留め置かれた。教皇は王と妃らを破門し、ナポリの町に聖務停止を命じた。カルロはノチェーラに逃れた教皇を包囲したが、教皇は逃げ延びたとされる。ルイ・ダンジューとの抗争は、1384年にルイが死去して収まった。
同じ1384年に、ラヨシュ1世が男子の継承者を残さずに亡くなった。長女マーリアとその夫ジギスムントが王位を継ぐはずだったが、国内には反対派が多く、1385年、カルロは反対派に迎えられてハンガリー王カーロイ2世として即位した。妃と子はナポリに残った。しかし翌1386年、カルロは、マーリアの母エリザベタ・コトロマニッチの側の者に襲われて重傷を負い、2月24日に没したとされる。マーリアとジギスムントが王位に復帰した。この対立は暗殺後も尾を引き、ルイ・ダンジューの子ルイ2世と、カルロの子ラディズラーオが、アヴィニョン派とローマ派に分かれて王位を争った。
同じ年に亡くなった人物
- バルナバ・ダ・モデナ (1386年)
- ウィリアム・ラングランド (1386年)
- レオポルト3世 (オーストリア公) (1386年没)
- ユーフェミア・ド・ロス (1386年)
- ヨハンナ・フォン・バイエルン (1362-1386) (1386年没)
同じ地域に関係する人物
- ゲーザ1世 (ハンガリー王) (1077年没)
- レオンハルト・ラウヴォルフ (1596年没)
- ソコリ・アラヨス (1932年没)
- マルガレーテ・フォン・ルクセンブルク (ハンガリー王妃) (1349年没)
- カーロイ1世 (ハンガリー王) (1342年没)