伝記
ベアトリス・デ・ポルトゥガルは、ポルトガル王女で、カスティーリャのアルブルケルケ伯サンチョ・アルフォンソの妃である。生年は1347年ごろとされるが、1351年または1354年とする説もある。父は後にポルトガル王となるペドロ1世、母はガリシアの貴族イネス・デ・カストロで、ベアトリスは両親が結婚する前に生まれた庶子である。
両親は1354年に秘密のうちに結婚したとされる。ペドロ1世の父アフォンソ4世と貴族たちは、この結婚に反対した。翌1355年、母イネスはコインブラで、アフォンソ4世の命によって殺された。父は即位後の1360年6月、証人の前で、約7年前にイネスと秘密に結婚していたと宣言した。その場にいた多くの人は、この宣言を信じなかったという。ペドロ1世は教皇インノケンティウス6世に結婚の追認と子供たちの嫡出化を願ったが、教皇は、そうした特免は偉大で高貴な人々にしか与えない習いだとして断った。それでも1361年にペドロ1世はベアトリスを嫡出子としたとされ、ベアトリスが正式な王女といえるかどうかは、後世まで議論になっている。1367年1月の遺言で、ペドロ1世は財産の大半を、フェルナンド、ジョアン、ディニス、ベアトリスの子供たちにまとめて遺した。
異母兄のフェルナンド1世は1367年にポルトガル王位を継いだ。1372年から1373年にかけてカスティーリャ王エンリケ2世と2度目の戦争を行い、最後には1373年3月19日にサンタレン条約を結ばなければならなくなった。条約にはポルトガルとカスティーリャの王家の3組の縁組が含まれ、そのひとつが、ベアトリスとエンリケ2世の異母弟サンチョ・アルフォンソとの結婚だった。1373年に結婚し、夫妻はアルブルケルケの領地を受けた。夫は翌1374年2月19日に、ブルゴスでの乱闘のなかで世を去った。娘のレオノール(1374年 - 1435年)は、のちにアラゴン王フェルナンド1世の妃となった。ほかに息子フェルナンド・サンチェスがいて、アルジュバロータの戦いで戦死したともいわれる。
夫の死から5年後の1379年、ポルトガル王妃レオノール・テレスの陰謀によって弟のジョアンがカスティーリャに亡命すると、ベアトリスもジョアンに同行した。ベアトリスは1381年7月5日にレデスマで亡くなったとされるが、1382年没とする説もあり、ブルゴス大聖堂に葬られた。娘レオノールの血筋は、孫のアラゴン王アルフォンソ5世、曾孫のカスティーリャ王エンリケ4世やポルトガル王アフォンソ5世をはじめ、各国の王や有力貴族に広がっていった。
同じ年に亡くなった人物
- ジョン・ボール (1381年没)
- スウェーデンの聖カタリナ (1381年)
- Al-Mansur Ala-ad-Din Ali (1381年没)
- フリードリヒ3世 (マイセン辺境伯) (1381年没)
- ヤン・ファン・リュースブルク (1381年没)
同じ地域に関係する人物
- アビラのテレサ (1582年没)
- ファドリケ・アルバレス・デ・トレド (1583年没)
- ミゲル・デ・ウナムーノ (1936年没)
- ゴンサロ・トレンテ・バジェステル (1999年没)
- フランシスコ・サンチェス・デ・ラス・ブロッサス (1601年没)