伝記
エドワード・リー・ソーンダイクは、1874年8月31日、マサチューセッツ州ウィリアムズバーグで、エドワード・Rとアビー・Bの子として生まれた。兄アシュリーは英文学の教授でシェイクスピアの権威となり、弟リンは科学と魔術の歴史を専門とする中世史家となった。ロクスベリー・ラテン校を1891年に卒業し、1895年にウェズリアン大学で理学士の学位を得て、1897年にハーバード大学で修士となった。ウィリアム・ジェームズの本を読んで心理学に関心を持ち、彼のいるハーバードに進んだものの、児童を被験者とする教授法や学習の研究が難しかったため、動物を用いた学習研究に向かうことになった。
その後コロンビア大学に移り、心理測定学の創始者の一人ジェームズ・キャッテルの指導のもとで、1898年に博士の学位を得た。学位論文『動物知性』は、被験体が人間以外の動物である心理学で最初の論文とされる。この研究で用いたのが「問題箱」で、箱の中の紐やレバーに触れると扉が開く仕掛けになっており、外に餌を置いてネコなどを入れ、脱出までの時間を測った。ネコははじめ落ち着きなく動き回って鳴くだけだが、偶然に仕掛けに触れて扉が開くと、試行を重ねるごとに脱出が速くなった。他の動物の脱出を見せても学習の速さに違いはなく、前足を正しい位置に導いても進歩しなかったため、ソーンダイクは模倣や観察ではなく試行錯誤による学習だと考えた。ただし動物の行動に過度に知的なものを読み込むことは戒めている。彼は学習を刺激状況と反応の結合の強まりとして説明し、満足をもたらす反応は結合を強め、不快をもたらす反応は弱めるという効果の法則を、練習の法則、レディネスの法則とともに唱えた。この試行錯誤学習の考え方は、のちのスキナーのオペラント条件づけの知的基盤となった。
1899年、クリーブランドの女子大学での不本意な1年を経て、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジの講師となり、以後はほぼ生涯をここで過ごして、人間の学習、教育、知能や能力の測定を研究した。1900年8月29日にエリザベス・モールトンと結婚し、5人の子をもうけた。その一人フランシスは数学者になった。経歴の初期にはハドソン川沿いに広い土地を買い、ほかの研究者にも近くに住むよう勧めたため、やがて小さな集落ができ、本人はその「部族長」のような存在になったという。従業員の選抜試験など、産業上の問題にも取り組んだ。1903年に『教育心理学』を刊行し、これは1913年から14年にかけて3巻本の大著となった。教育評価の分野では教育測定運動の父と呼ばれる。1912年にはアメリカ心理学会の会長を務め、1937年には心理測定学会の第2代会長となった。同じ1912年、日本からの留学生新井鶴子を指導し、日本人女性として初めて哲学博士号を授けた。彼女は授与の当日に結婚して原口鶴子となった。当時の日本では女性は大学へ進むことさえできなかった。また、第二次世界大戦後に占領軍の教育改革の一環として送られた第1次対日教育使節団の候補に挙がったが、決定案では外れた。2002年に発表された調査では、20世紀に最も引用された心理学者の第9位に挙げられている。ソーンダイクは1949年8月9日に没した。
同じ年に亡くなった人物
- エンリコ・ガッツォーニ (1949年没)
- サロージニー・ナーイドゥー (1949年没)
- ウルリッヒ・サルコウ (1949年没)
- エルトン・メイヨー (1949年没)
- マルティン・クヌーセン (1949年没)
同じ地域に関係する人物
- ロックウェル・ケント (1971年没)
- ヘンリー・モーゲンソウ (政治家) (1967年没)
- マニュエル・ケソン (1944年没)
- オナ・マンソン (1955年没)
- ホセ・ラウル・カパブランカ (1942年没)