伝記
イザベッラ・ディ・シチリアは、バイエルン公シュテファン2世の妃となったシチリアの王女である。ドイツ語ではエリーザベト・フォン・ジツィーリエンと呼ばれる。1310年に生まれた。父はシチリア王フェデリーコ3世(2世とされることもある)、母はエレオノーラ・ダンジョで、エレオノーラはナポリ王カルロ2世とハンガリーのマリアの娘である。父フェデリーコは、アラゴン王ペドロ3世とシチリアのコスタンツァの三男にあたる。イザベッラは国王夫妻の次女で、兄弟にはシチリア王ピエトロ2世とアテネ公マンフレーディがいる。
彼女の生涯について伝わる事柄は少ない。父フェデリーコは、ボヘミア王ヨハンの拡張政策に対抗するため、1328年1月7日にローマの人々から神聖ローマ皇帝として戴冠されたバイエルン公ルートヴィヒ4世と同盟を結ぼうとした。そこで、ルートヴィヒ4世の息子で10歳のシュテファンとイザベッラの結婚が決められた。1328年6月27日、イザベッラはシュテファンと結婚した。シュテファンは、ルートヴィヒ4世と、その妻でシレジア・グウォグフ公家出身のベアトリチェ・シフィドニツカの息子で、バイエルン公である。
夫妻には3男1女が生まれた。1337年に長男シュテファン、1338年に長女アグネス、1339年に次男フリードリヒ、1341年に三男ヨハンが生まれたとされる。1347年に舅のルートヴィヒ4世が亡くなると、夫のシュテファンは、ルートヴィヒ5世、ルートヴィヒ6世、ヴィルヘルム1世、アルブレヒト1世、オットー5世といった兄弟や異母兄弟とともに、バイエルン公領の共同統治者となった。
イザベッラは1349年3月21日(31日とする記述もある)にランツフートで亡くなった。ペストによるものだった可能性があるという。公妃であったのはおよそ2年とされ、遺体はミュンヘンの聖母大聖堂に葬られた。夫のシュテファン2世は同じ1349年のうちに、ニュルンベルクの城伯の娘マルガレーテと再婚したが、2人の間に子はなかった。息子のうち2人はバイエルン公となり、長男のシュテファン3世は下バイエルン=ランツフート公ののち上バイエルン=インゴルシュタット公となった。三男のヨハン2世はカタリーナ・フォン・ゲルツと結婚し、下バイエルン=ランツフート公ののち上バイエルン=ミュンヘン公となった。娘のアグネスは1356年ごろにキプロス王ジャック1世と結婚してキプロス王妃となった。孫娘のイザボー・ド・バヴィエールは、シュテファン3世の娘で、フランス王シャルル6世と結婚してフランス王妃となった。イザボーの子には、イングランド王妃イザベラ、同じくイングランド王妃となったキャサリン、ブルゴーニュ公妃ミシェル、フランス王シャルル7世などがいる。
同じ年に亡くなった人物
- ルキーノ・ヴィスコンティ (ミラノの僭主) (1349年没)
- ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ (フィリップ6世王妃) (1349年没)
- フアン・マヌエル (1349年没)
- トーマス・ブラドワーディン (1349年)
- ハムドゥッラー・ムスタウフィー・カズヴィーニー (1349年没)
同じ地域に関係する人物
- マクシミリアン3世ヨーゼフ (バイエルン選帝侯) (1777年没)
- クリスティアン・アウグスト (プファルツ=ズルツバッハ公) (1708年没)
- アルブレヒト (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯) (1667年没)
- アンナ・フォン・ザクセン (1437-1512) (1512年没)
- ヘルマン・オプリスト (1927年没)