HISTORICAL PERSON · 1323年没

馬端臨

南宋末・元初の歴史家・儒学者。丞相馬廷鸞の子で、朱子学を修め、南宋滅亡後は元に仕えず書院の山長を務めた。杜佑『通典』の欠を補うため『文献通考』を撰し、1317年に仁宗へ上進した。

生涯
1323年没
死亡地
—
出生地
中華人民共和国(江西省 / 楽平市)
出典
世界地図
中華人民共和国(江西省)

伝記

馬端臨は、南宋の末から元の初めにかけて活動した中国の歴史家であり、儒学者である。『文献通考』の撰者として知られる。字は貴与、号は竹洲といい、饒州楽平県の出身である。生年は1254年とも1245年ともいわれ、没年も1323年とされるが、1322年、1325年とする説もある。

父は南宋末に丞相を務めた馬廷鸞で、その職にあったために、歴史にかかわる文書を大量に所蔵していた。父自身は、歴史家として仕事にとりかかる機会をもてなかったという。端臨は広く書物を読み、徽州休寧県の曹涇のもとで朱子学を修めて、その強い影響を受けた。父の恩蔭によって承事郎となった。やがて、父が宮廷での争いのために朝廷を離れて故郷の村に戻ると、端臨はその手助けに力を注いだ。1273年には、父の蔵書と助言を使って、のちの『文献通考』となる資料の収集を始めた。1279年には、モンゴルの攻撃を受けて南宋が滅んだ。

父の死後、元の朝廷からの強い招きを受けて、端臨は村を離れた。端臨は慈湖書院と柯山書院の山長を務め、のちに台州路教授となるなど、学問と教育にかかわる職を歴任した。南宋の滅亡後も元朝には仕えなかったとする説もある。中国の教育制度を再び盛んにするうえで、重要な役割を果たしたとも伝えられる。1322年には、高齢を理由に辞職して家に戻った。

唐の杜佑が著した『通典』の欠を補おうと志して、『文献通考』を編んだ。編纂は1273年に始まり、45年あまりを費やした。1317年に完成して、仁宗に上進された。348巻からなる大著で、土地税、戸口、専売と商業、科挙と官吏の任用、官制、軍事、学校、貨幣など、24の部門がある。歴代王朝の法令や制度を一つにまとめ、誤りや矛盾を除くことを目指した。南宋の寧宗が死去した1224年までの中国の統治の経験を扱い、引用した文には、自らの注釈も詳しく加えられている。他の国々について述べた部分は独創的で、19世紀の末から西洋の学者の関心を集めた。この書は、のちに何度も再刊され、1370年、1747年、1921年には、補いを加えた版が出た。『通典』や、鄭樵の『通志』とともに「三通」と呼ばれる。ほかの著作に、『大学集録』や『多識録』がある。

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