伝記
イザベル・ド・ブルゴーニュは、1270年に生まれ、ローマ王ルドルフ1世の2番目の王妃となった女性である。ドイツ語ではイザベラ・フォン・ブルグント、またはエリーザベトとも呼ばれる。ブルゴーニュ公ユーグ4世と、その2番目の妃ベアトリス(ナバラ王テオバルド1世の娘)との間の次女である。父方の祖父母はブルゴーニュ公ウード3世とアリス・ド・ヴェルジー、母方の祖父母はナバラ王テオバルド1世とマルグリット・ド・ブルボンだった。同じ母から生まれたきょうだいには、アヴァロン副伯ユーグ、ラ・マルシュ伯ユーグ14世の妃となったベアトリス、ジャン・ド・シャロンの妻マルグリット、修道女となったジャンヌがいた。ユーグ4世の最初の結婚で生まれた異母きょうだいには、ブラバント公アンリ3世の妃アデライードや、のちのブルゴーニュ公ロベール2世などがいる。
1272年9月より前に、フランドル伯ロベール3世の息子シャルルと婚約した。シャルルは1266年の生まれで、11歳だった1277年に死去したため、結婚は実現しなかった。1284年2月6日、イザベルはルドルフ1世の2度目の妃となった。花嫁は14歳、ルドルフは65歳だったとされ、結婚の日を3月とする記述もある。ルドルフはアルブレヒト4世・フォン・ハプスブルクとヘートヴィヒ・フォン・キーブルクの子で、最初の妃はゲルトルート・フォン・ホーエンベルクだった。イザベルは継子のうち8人より若かったらしく、ボヘミア王ヴァーツラフ2世の妃となった継子のユーディトより1歳年上だった。二人の間に子は生まれず、1291年7月15日にルドルフは死去した。ルドルフの死後、オーストリア公領は、ルドルフと最初の妃との間の息子であるアルブレヒト1世とルドルフ2世が共同で継いだ。
イザベルは夫の死後ブルゴーニュに戻り、1294年11月20日に、ヴュー・シャトーとエニャン・ル・デュクの領主の地位を与えられた。1306年には、ヌフル領主ピエール9世・ド・シャンブリーと再婚した。ピエール9世は1319年ごろに没している。二人の間には、少なくとも娘のジャンヌが生まれ、ジャンヌはヌフル領主となった。ジャンヌは、まずパニー領主フィリップ・ド・ヴィエンヌと、次いでミルボー領主ジャン・ド・ヴェルジーと結婚した。この家系は代を重ねて、のちにサルデーニャ王カルロ・アルベルトにまで連なるとされる。イザベルは1323年8月に没し、パリに葬られたという。
同じ年に亡くなった人物
- Augustin Kazotic (1323年)
- 馬端臨 (1323年没)
- シデバラ (1323年没)
- フリードリヒ1世 (マイセン辺境伯) (1323年没)
- 恭帝 (宋) (1323年)
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