HISTORICAL PERSON · 1310年代没

イブン・マンズール

現在のチュニスにあたるイフリーキヤ生まれの辞書編纂者。アラブ世界最大の古典辞書『アラビア語大辞典』を1290年に完成したとされ、今も広く使われる。官僚として働き、トリポリでカーディーを務めた。

生涯
1310年代没
死亡地
エジプト・アラブ共和国(カイロ県 / カイロ)
出生地
エジプト・アラブ共和国(カイロ)
出典
世界地図
エジプト・アラブ共和国(カイロ県)

伝記

イブン・マンズールは、1232年あるいは1233年に生まれ、1311年12月に没した(1312年とする説もある)アラブの辞書編纂者、著述家、ハディース学者、法学者である。大部のアラビア語辞典『アラブの言葉』(リサーン・アル=アラブ)を編纂したことで知られる。正式な名はアブー・ル=ファドル・ジャマールッディーン・ムハンマド・ブン・ムカッラムといい、「マンズール」は7代前の祖先、「ムカッラム」は父の名に由来する。アンサーリーやルワイフィーという呼び名もあり、これは、トリポリの総督として送られた教友の子孫とされたことによる。祖先の一部がイフリーキヤに定住したことからイフリーキー、エジプトとの結びつきからミスリーとも呼ばれた。

生まれた場所と時期には食い違いがあり、イフリーキヤ(現在のチュニス)の生まれとする説のほか、1232年11月8日にカイロで生まれたとする説、1233年6月から7月とする説がある。最初の教えは父から受け、父の知的な交友の輪に影響されて、若いうちから学び始めた。アラビア語とその文学、書簡文の作成、ハディース、法学を何人もの学者に学んだ。

学業を終えるとカイロの文書庁で働き、しばらくはトリポリで裁判官(カーディー)を務めた。忙しい役所勤めの傍らで執筆を続け、マムルークのスルターンたちのもとで官僚として仕えたとされる。シーア派であったともされるが、頑迷なタイプではなかった。晩年はカイロで過ごし、目を悪くして盲目となった。息子のクトゥブッディーンも文書庁で書記として働き、息子のほかにも何人かの弟子がいた。ユーモアのある詩を作ったともいわれる。1311年12月、カイロで没した。

その仕事は、先人の著作を集めて短くまとめ、整理し直すことに特徴がある。『アガーニー(歌の書)』を詩人名の字母順に並べ直した抄本、ダマスクスの歴史の抄本、ジャーヒズの『動物の書』、イブン・アブド・ラッビヒの『比類なき首飾り』、イブン・アル=ジャウズィー、イブン・バイタール、イブン・サアドらの著作の抄本など、文学、歴史、伝記などの大著を縮約した。こうして前の世代の学者が残した膨大な材料を、集め、整理し、後に伝えた。自筆の冊子で数えて、著作は500巻にも及ぶ。

最も有名な著作が『アラブの言葉』である。1290年に完成した、アラビア語の大型の百科事典的な辞典で、アラブ世界が生んだ最大の古典辞書とされ、現代でも広く使われている。主に、それ以前の五つの大きな辞書をもとに作られた。語の語根ごとに並べ、クルアーン、ハディース、詩の引用が豊富に添えられ、語彙に関する情報のほかにも、文法、クルアーン解釈、法学、歴史、文学、人名や地名についての情報が集められている。のちに配列や語の選び方への批判も出たが、先行するアラブの辞書編纂の伝統を数多く保存した書物となった。

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