伝記
ヴァルデマール1世は、ヴァルデマール・ビルイェルソンの名でも知られる、フォルクング朝最初のスウェーデン王である。在位は1250年から1275年までで、生まれた年は1239年とも1243年ともいわれる。父はフォルクング家のビルイェル・ヤール、母はインゲボリ・エリクスドッテルである。母は、先王エリク10世と、デンマーク王の娘とのあいだの王女であった。母方の叔父エリク11世の治世の1248年から、ヴァルデマールの時代にかけて、ビルイェル・ヤールが摂政として、事実上スウェーデンを支配していた。
1250年にエリク11世が死ぬと、ヴァルデマールはスウェーデン王に選ばれ、翌1251年にリンシェーピング大聖堂で戴冠した。即位したときは7歳ほどであったとされ、国政は完全に父ビルイェル・ヤールが握っていた。その治世には、王位を狙うフィリップ・クヌートソンとフィリップ・マグヌソンが、ノルウェー人やドイツ人の傭兵からなる軍を集めて蜂起したが、ビルイェル・ヤールに敗れた。1260年、ヴァルデマールはデンマーク王エーリク4世の長女ソフィアと結婚した。
1266年にビルイェル・ヤールが死去すると、政治は弱まり、弟のセーデルマンランド公マグヌス・ビルイェルソンとの王位をめぐる争いが起こった。ヴァルデマールは、ソフィアの妹であるユッタとも関係を持っていた。ユッタは1272年にスウェーデンにわたり、王の愛人となって、子を一人もうけたとされる。しかし教皇から破門を示されたため、1273年にユッタを修道院に送り、赦免を乞うためにローマ巡礼に出ざるを得なくなった。こうした王の私生活は、弟たちの不満を高めた。1275年6月14日、ヴァルデマールはホヴァの戦いで、弟マグヌスに敗れた。マグヌスは、兄弟のスモーランド公エリク・ビルイェルソンやデンマーク王エーリク5世の支援を受け、デンマーク人の戦士を率いていた。ヴァルデマールとソフィアはノルウェーへ逃れ、マグヌスがマグヌス3世として即位した。
1277年、妻ソフィアは祖国デンマークへ帰され、二人は離婚した。同じ年、ヴァルデマールはイェータランドを手に入れようとしてイェータランド公を名乗ったが、翌年にはマグヌス3世に奪い返された。のちに、マグヌスへの反乱にかかわったとされ、領地を取り上げられて、デンマークに9年間追放されたともいわれる。1284年から1285年には、マルメに身を落ち着けた。1288年、マグヌス3世によってニュヒェーピング城に軟禁された。環境は悪くなく、ヴァルデマールはそこで愛人を公然と囲って、1302年12月26日に死去するまでの余生を送った。愛人としては、ほかにクリスティーナやカタリーナ・フォン・ギュツコウ、ルクラルディスの名が挙がり、そのうちの誰かとは結婚していた可能性もある。遺体は、東イェータランドのベネディクト会のヴレタ修道院に葬られた。
ヴァルデマールはソフィアとのあいだに6人の子をもうけた。インゲボリはホルシュタイン公ゲルハルト2世の妃、エリクは1272年から1330年まで生きた。マリーナはディープホルツ伯ルドルフの妃、リキッサは1292年に没し、ポーランド王プシェミスウ2世の妃となった。カタリーナは1283年に没し、マルガレータは修道女となった。
同じ年に亡くなった人物
- アーディル・キトブガー (1302年没)
- ハーキム1世 (1302年没)
- ロベール2世 (アルトワ伯) (1302年没)
- ムハンマド2世 (ナスル朝) (1302年没)
- ヨランダ・ダラゴナ (1302年没)
同じ地域に関係する人物
- アンナ・マリア・フォン・デア・プファルツ (1589年没)
- インガ・ゲンツェル (1991年没)
- Hans Wetterstrom (1980年没)
- エリク・マグヌソン (セーデルマンランド公) (1318年没)
- カール9世 (スウェーデン王) (1611年没)