HISTORICAL PERSON · 1299年没

エイリーク2世 (ノルウェー王)

ノルウェー王。成人前に即位して枢密院に支えられ、スコットランド王女マーガレットと結婚して娘マルグレーテをもうけた。ハンザ同盟都市と戦って不首尾に終わり、1299年に没して弟ホーコン5世が継いだ。

生涯
1299年没
死亡地
ノルウェー王国(ホルダラン県 / ベルゲン)
出生地
ノルウェー王国(ノルウェー)
出典
世界地図
ノルウェー王国(ホルダラン県)

伝記

エイリーク2世は、ノルウェーの国王である。1268年に、改法王マグヌス6世と、デンマーク王エーリク4世の娘インゲボーの長男として生まれた。母方の血筋をたどると聖オーラヴ2世の子孫にあたり、彼の即位によって、オーラヴの血筋が再びノルウェーを治めることになった。1273年、わずか5歳で、父のもとで小王の地位を与えられた。父は1280年の夏に、エイリークを共治王として戴冠させる計画だったが、その前に亡くなったため、エイリークは単独の王となり、1280年7月2日にベルゲンで戴冠した。まだ12歳だった。弟のホーコンは1273年に「ノルウェー公」とされ、1280年からは、東部のオスロ周辺や南西部のスタヴァンゲルを、兄のもとで治めた。王宮はノルウェー西部のベルゲンに置かれた。

幼い王にかわって、有力な貴族と母インゲボーからなる会議が国を治めた。エイリークは1282年に成人したが、その後も会議は大きな影響力を保ったとされる。弱い王で、決定はいつも側近の影響を受けたと記憶されている。教会との関係がぎくしゃくしたことから、「聖職者の敵」というあだ名がついた。ただしこれは、国政を握った貴族に対する聖職者たちの対抗心のあらわれだったともいわれる。

1281年、敵対関係にあったスコットランドとの関係を改善するため、スコットランド王アレグザンダー3世の王女マーガレットを妃に迎え、ベルゲンで結婚した。マーガレットは2年後、娘のマルグレーテを産んだ際に亡くなった。このマルグレーテは、のちに「ノルウェーの乙女」と呼ばれる。1286年に祖父の跡を継いでスコットランド女王となったが、1290年、父のもとを離れてスコットランドへ渡る途中で亡くなった。この死が王位をめぐる争いを招き、スコットランド独立戦争につながった。エイリーク2世は一時、娘の相続人としてスコットランド王位を主張したが、成功しなかった。

この間の1287年、エイリークは、デンマーク王エーリク5世を暗殺したとして追われていたヤコブ・ニールセンやスティーン・アンデルセン・ヴィーデら、デンマークの貴族たちと同盟を結び、ノルウェーにかくまった。母のデンマーク王家の遺産を求めたことも動機の一つとされる。1289年にはみずから大艦隊を率い、彼らとともにデンマークを襲って、ヘルシンゲルを焼き、コペンハーゲンを脅かした。この戦争は1295年まで、とぎれとぎれに続いた。ハンザ同盟の都市とも戦ったが、うまくいかなかった。1290年と1293年にも海上から襲い、1295年に和平が成った。

戦争の最中の1293年、のちのスコットランド王ロバート1世の妹イザベルと再婚した。1297年に娘のインゲビョルグが生まれ、1312年にフィンランド公ヴァルデマールと結婚した。エイリークは1299年7月15日、32歳で亡くなった。後妻との娘しか残っていなかったが、ノルウェーの相続法では女子は王位を継げなかったため、王位は弟のホーコン5世が継いだ。ベルゲンの旧大聖堂に葬られ、この大聖堂は1531年に取り壊された。現在、その場所はベルゲンフース要塞内の記念碑で示されている。

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