伝記
マルグリット・ダンジューは、アンジュー伯領とメーヌ伯領を継いだ女性で、ヴァロワ家の祖であるヴァロワ伯シャルルの最初の妃である。1273年(1272年とも)にナポリで、ナポリ王カルロ2世と、ハンガリー王イシュトヴァーン5世の娘マーリアの長女として生まれた。父方の祖父母はアンジュー伯でシチリア王のカルロ1世とベアトリス・ド・プロヴァンス、母方の祖父母はイシュトヴァーン5世とクマン人のエルジェーベトである。きょうだいは14人いて、ハンガリーとクロアチアの名目上の王となったカルロ・マルテッロ、のちのナポリ王ロベルト1世などがいる。
1289年12月28日、フランス王フィリップ3世と王妃イザベル・ダラゴンの子であるヴァロワ伯シャルルとの婚姻契約が結ばれた。マルグリットは16歳ほど、シャルルは19歳だった。二人は又従兄にあたり、1290年8月16日にコルベイユで結婚した。その2日後の8月18日に、父カルロ2世は、持参金としてアンジュー伯領とメーヌ伯領を婿に譲り、マルグリットはこの二つの伯領の女伯となった。これは、シャルルがアラゴン王国とバレンシア王国への権利を放棄することと引き換えだった。カルロ2世は、アラゴン王アルフォンソ3世にバルセロナで人質にされている三人の息子の解放を期待したのである。
二人のあいだには6人の子が生まれた。1292年にイザベル、1293年にフィリップ、1294年にジャンヌ、1295年にマルグリット、1297年にシャルル、1299年にカトリーヌである。イザベルはのちのブルターニュ公ジャン3世と結婚し、ジャンヌはエノー伯ギヨーム1世と結婚した。マルグリットはブロワ伯ギー1世と結婚した。シャルルはアランソン伯となった。フィリップはのちにフィリップ6世として、ヴァロワ朝初代のフランス王となり、イングランド王エドワード3世との王位継承をめぐる争いは、百年戦争のもとになった。
マルグリットは1299年12月31日にパリで亡くなり、パリのジャコバン会の教会に葬られた。カトリーヌも同じ年に幼くして世を去った。長男が母の後を継ぎ、夫のシャルルは、その後、コンスタンティノープルの名目上の皇后カトリーヌ・ド・クルトネーと再婚した。
同じ年に亡くなった人物
- ノガイ (1299年没)
- バイダル (1299年(推定))
- ヤン1世 (ホラント伯) (1299年没)
- ダウマンタス (プスコフ公) (1299年没)
- マンスール・ラージーン (1299年没)
同じ地域に関係する人物
- ピエール=ジャン・ド・ベランジェ (1857年没)
- フランソワ・プークヴィル (1838年没)
- フィリップ・エドゥアール・レオン・ヴァン・ティガン (1914年没)
- ジーノ・セヴェリーニ (1966年没)
- アンリ2世 (フランス王) (1559年没)