伝記
マルクス・ユニウス・ブルトゥスは、紀元前85年に生まれ、紀元前42年10月23日に没した共和政ローマ末期の政務官である。独裁官カエサルの暗殺に関わった一人で、現代ではカエサル暗殺を象徴する人物として記憶されている。シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』の主人公としても有名で、英語読みのブルータスの名で広く知られる。
共和政を樹立した伝説的な執政官ルキウス・ユニウス・ブルトゥスの末裔とされ、父は護民官を務めた同名の人物、母はセルウィリアである。母の異父弟が小カトで、ブルトゥスにとっては母方の叔父にあたる。父はレピドゥスの蜂起に加わってポンペイウスに殺害されたとされ、幼くして父を失った。母セルウィリアはカエサルと親しくなり愛人関係になったといい、ブルトゥスはカエサルを父親代わりに育てられた。その親密さから、一部の歴史家は「カエサルが実父ではないか」とする説を残している。一時は母方のカエピオ家の叔父の養子となり、セルウィリウス氏族の名を名乗ったが、のちに元の名に戻した。
政治家としての第一歩は、キプロス総督となった小カトの補佐官に任命されたことである。叔父の仕事を手伝うかたわら、金貸し商人として一財を成し、財産をローマに持ち帰ると、執政官の娘クラウディアと結婚した。閥族派の元老院議員として三頭政治に対抗する派閥に属し、カエサルがルビコン川を渡ると、周囲がカエサル派につくかと考える中、仇敵ポンペイウスと手を結んでその軍に加わった。閥族派はカエサルを「共和制の敵」と見なしており、ブルトゥスは私的な事情より公的な信念を優先したことになる。ファルサルスの戦いに従軍した際、カエサルは「戦場でブルトゥスを見つけても決して傷つけてはならない」と異例の厳命を下したという。ポンペイウスが惨敗するとブルトゥスは軍を離れてカエサルに恭順し、罪を問われないばかりか側近に加えられ、紀元前46年にガリア総督、紀元前45年に法務官へと引き立てられた。同年にはクラウディアと離婚し、カエサルに追討された小カトの娘で従姉妹にあたるポルキアと再婚している。この唐突な行動に、ブルトゥスが真意を明かさなかったため、巷では争論になり、母とも口論になったという。
内戦後、カエサルが独裁色を強めると、元老院内で共和政の終わりを危ぶむ声が高まり、暗殺の謀議が始まった。ブルトゥスは当初加わっていなかったが、周囲に促されて参加したとされる。カッシウスが祖先の像の前に手紙を置いて使命を思い起こさせたという逸話は、シェイクスピアの創作と見られている。3月15日、妻カルプルニアが悪夢を理由にカエサルを引き止めたが、ブルトゥスは議場で待ち続け、元老院を訪れたカエサルに対し、カスカの証言によれば最初に短剣で一撃を加えたという。妻ポルキアも父の仇の暗殺に賛同し、唯一の女性参加者となった。
暗殺後、元老院は恩赦を決議したが、騒乱を予感したブルトゥスはローマを離れた。オクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスが第二回三頭政治を結成すると、ブルトゥスはカッシウスと17個軍団でローマへ進軍し、マケドニアのフィリッピで19個軍団と戦って敗れた。追い詰められた彼は、捕虜になるのを潔しとせず、陣営地で自害した。アントニウスは遺骸に紫の外套を掛けて手厚く葬らせたと伝わり、遺骨はローマの母のもとへ届けられた。暗殺の際に「専制者は斯くの如く」と語ったとも言われる。ダンテは『神曲』で、彼を最下層でサタンに噛まれる罪人の一人とした。
同じ年に亡くなった人物
- セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官) (紀元前 42年)
- ガイウス・カッシウス・ロンギヌス (紀元前42年没)
- Decimus Laberius (紀元前42)
- アンティパトロス (紀元前42)
同じ地域に関係する人物
- プロタゴラス (紀元前430年代没)
- Bion of Abdera (紀元前369)
- ヴィオランテ・ディ・モンフェラート (1317年没)
- メトロクレス (紀元前300)
- Androsthenes of Thasos (紀元前360)