伝記
アティア・バルバ・カエソニアは、共和政ローマ末期の女性で、初代ローマ皇帝アウグストゥス(オクタウィアヌス)の母として知られる。生年は紀元前85年ごろ、没年は紀元前43年である。父はマルクス・アティウス・バルブスで、母はユリウス氏族カエサル家の出身のユリア(小ユリア)である。したがってガイウス・ユリウス・カエサルの姪にあたる。妹が少なくとも一人おり、姉がいた可能性もあることから、アティア・セクンダ(第二のアティア)と呼ばれることもある。兄弟がいたかもしれないともいう。
最初の夫は、紀元前61年の法務官で、のちにマケドニア属州の総督となった元老院議員ガイウス・オクタウィウスである。一家はオクタウィウス氏の故郷ウェリトラエの近くに暮らしていた。この結婚で、紀元前66年ごろに生まれた小オクタウィアと、紀元前63年に生まれたガイウス・オクタウィウス(のちのアウグストゥス)の二人の子をもうけた。夫が執政官に立候補している途中で死去したとされ、その年は紀元前59年で、息子が四歳のときだった。同じ年、アティアは紀元前56年の執政官ルキウス・マルキウス・ピリップスと再婚した。ピリップスはカエサル支持者で、すでに三人の子があり、その中には、すでに成人していたルキウス、小カトーの妻マルキア、紀元前47年のキリキア総督クィントゥスがいた。彼は連れ子を可愛がり、義理の娘オクタウィアの縁談をまとめて、小マルケッルスと結婚させた。二人のあいだにも子がいた可能性があるという。
アティアについては、タキトゥスが、とても信心深く思慮に富んだ女性であったと述べている。彼女の前では卑しい言葉や無作法な振る舞いが許されず、宗教を軸に生活を律していたという。また、スエトニウスは、オクタウィアヌス誕生にまつわる神がかり的な予兆を伝えている。真夜中にアポロンの祭礼のため神殿を訪れたアティアは、輿を神殿に置いたまま眠り込み、そこへ蛇が忍び寄って去っていった。目覚めて身を清めたが、体に蛇のような色の痕が現れて消えず、以後は公衆浴場へ行かなくなった。それから十か月目にアウグストゥスが生まれ、アポロンの子と考えられたという。出産の前には、自分の内臓が星々にまで運ばれ、陸と海の全体に広がる夢を見たとも、夫オクタウィウスが、アティアの胎内から太陽が昇る夢を見たともいう。
カエサルが暗殺され、後継者に息子オクタウィアヌスが指名されると、アティアはその重責を恐れ、夫ピリップスとともに息子にカエサルの後継者となることを辞退するよう説得したという。彼女は紀元前43年、息子が最初の執政官を務めている最中、8月から9月のあいだに死去した。オクタウィアヌスは母の葬儀を丁重に、公費による葬儀として執り行ったと伝えられる。のちピリップスは、アティアの妹の一人と結婚したという。娘オクタウィアを通じて、ゲルマニクスやのちの皇帝クラウディウスの曾祖母でもある。BBCとHBOなどが製作したドラマ『ローマ』では、アティアは後世の歴史家の伝えるアティア像とは異なり、非常に独占的で野心的な女性として描かれている。政治を任されない立場ながらカエサルに取り入って息子の栄達を図り、マルクス・アントニウスと愛人関係にあり、カエサルの愛人セルウィリアと表面では友好を装いながら陰で対立する人物とされる。ドラマの中のアティアは、息子が皇帝となるのを見届けるまで生きる。
同じ年に亡くなった人物
- アウルス・ヒルティウス (紀元前43年没)
- デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス (紀元前43年没)
- ガイウス・トレボニウス (紀元前43年没)
- カルプルニア (紀元前43)
- ガイウス・ウィビウス・パンサ・カエトロニアヌス (紀元前43年没)
同じ地域に関係する人物
- フレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤース (1901年没)
- コンモドゥス (192年没)
- ジェームズ・ガンドルフィーニ (2013年没)
- マルクス・ユリウス・セウェルス・ピリップス (249年没)
- 十字架のパウロ (1773年没)