伝記
ブティゲイディスは、13世紀末のリトアニア大公である。弟にブトヴィーダスがいる。確実に知られているゲディミナス家の最初の人物とされる。生年は1240年とされることもあるが、出自についてははっきりしたことがわかっていない。多くの研究者は、1270年ごろから1282年までリトアニアを治めたトライデニスの子と考えている。トライデニスには娘のガウデムンダが知られており、息子もいたらしいこと、また晩年に子の継承を確実にするだけの力をもっていたこと、トライデニスの死後に国内で権力争いが起きた形跡がないことが、その理由である。これとは別に、ダウマンタスが父だったとする説や、スカルマンタスが父でゲディミナスの舅だったかもしれないという説もある。
権力を握った時期は、1282年とも1285年ともいわれ、治世は1290年か1291年までとされる。そのころドイツ騎士団はスドヴィアを征服したばかりで、その家臣のリヴォニア騎士団は、ブティゲイディスに味方していたゼムガレ人の地を攻めていた。1289年、ブティゲイディスは「リトアニア人の王」とも呼ばれ、およそ8千の兵を率いて、ドイツ騎士団のサンビアの拠点を攻めた。同じ年、ドイツ騎士団はラガイネに城を築いて襲撃を強め、リトアニア人はネマン川の対岸のコライニャイ城を捨てることになった。ブティゲイディスは、弟ブトヴィーダスとともに、ヴァウカヴィスクの町を、ヴォルィーニ公ムスチスラフに引き渡した。リトアニアとヴォルィーニ公国との講和の条件によるもので、1289年のことだった。ネマン川にそって防衛のための城塞を連ねて築いた最初の君主でもあり、この城塞網は彼の死後に発展して、14世紀後半まで騎士団の襲撃を防ぐのに役立った。
1290年11月付のリヴォニア騎士団総長の手紙に、「国王ブティゲイディス」と書かれているのが、記録に現れる最後である。1290年か1291年、あるいは1292年に亡くなり、弟のブトヴィーダスが跡を継いだ。ブトヴィーダスは、ヴィテニスの父でゲディミナスの父でもあったと推測されている。
同じ年に亡くなった人物
- 陳聖宗 (1290年没)
- Gregory II of Constantinople (1290年)
- マーガレット (スコットランド女王) (1290年没)
- クン・エルジェーベト (1290年)
- エリナー・オブ・カスティル (1290年没)
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