伝記
マーガレットは、1283年3月か4月に生まれ、1290年9月に没した、スコットランドの女王とされる人物である。ノルウェー王エイリーク2世と、スコットランド王アレグザンダー3世の娘マーガレットとの間の一人娘で、後世「ノルウェーの乙女」と呼ばれた。没年月日は9月26日とされるが、26日から29日の間とする説もある。実際に即位式を挙げてはいないため、君主としての地位には議論があり、女王予定者と呼ばれることもある。
生まれたのはノルウェー南東部の港町トンスベルグとされ、母は出産の合併症とみられる原因で、間もなく亡くなった。父は当時15歳で、娘の将来について発言力はほとんどなく、幼い彼女はノルウェーの有力者であるベルゲン司教の保護のもと、ベルゲンで育てられた。これは、彼女の結婚が王国の外交にとって重要なものと見なされていたことを示している。1281年の条約は、アレグザンダー3世に嫡出の男子孫が残らなければ、この夫妻の子がスコットランドの王位を継ぐと定めていた。1280年に成文化されたノルウェーの継承法は男子だけを認めており、彼女は父の王国を継げなかったはずで、スコットランド側は欺かれていたようだとも指摘される。
祖父の子はことごとく先立ち、1284年には唯一残った息子アレグザンダーも亡くなった。祖父は同年2月にスクーンで貴族たちに孫娘を後継者とすることを誓わせ、1285年10月にはイオランド・ド・ドルーと再婚した。ところが1286年3月19日、祖父は44歳で急死した。スコットランドの長老・重臣たちは、王位を守ることを誓い、六人の守護者を選んで国を治めさせ、アレグザンダー3世の血を引くマーガレットを後継者に立てた。こうして3歳のスコットランド初の女王が誕生したが、まだ王位は安泰ではなかった。祖父の後妻イオランドが身ごもっており、その子が王位を継ぐと見られていた。その子は11月に死産となったものの、ブルースが息子とともに起こした反乱が1287年初めに鎮圧されるなど情勢は不安定で、エイリーク2世は幼い娘をスコットランドへ送るのをためらい、マーガレットはノルウェーの王宮に留まり続けた。
隣国イングランドのエドワード1世は、マーガレットの母方の大伯父に当たり、スコットランド王位に対する影響力を狙って、王太子エドワード、のちのエドワード2世との結婚を迫った。1289年5月にエイリーク2世は使節を送ってこの件を協議し、スコットランド側は二人の王の交渉を見守るしかなかった。1290年3月に長老たちは結婚に同意することを通知し、7月18日にスコットランド南部で結婚条件が取り決められたが、国境地帯へのイングランド軍の配置や、王位継承権をイングランド側に移すという屈辱的な内容を含んでいた。
結婚のためスコットランドへ向かうことになったマーガレットは、ベルゲンから船に乗った。途中で大時化に遭い、船は9月にノルウェー領のオークニー諸島に着いたが、極度の船酔いのため、スコットランドの地を踏むことなく同地で亡くなった。まだ7歳であった。王家の直系が絶えたことで、ジョン・ベイリャルら13人が王位を争う事態となった。死から10年後の1300年には、マーガレットを名乗る偽者がベルゲンに現れたが、ほどなく処刑された。
同じ年に亡くなった人物
- エリナー・オブ・イングランド (バル伯爵夫人) (1290年代没)
- Sibylla of Armenia (1290年)
- ヘンリク4世 (1290年没)
- マグヌス3世 (スウェーデン王) (1290年没)
- エリナー・オブ・カスティル (1290年没)
同じ地域に関係する人物
- ピーター・マックスウェル・デイヴィス (2016年没)
- ホーコン4世 (ノルウェー王) (1263年没)