伝記
ルキウス・オクタウィウスは、紀元前1世紀初期の共和政ローマの政治家である。紀元前75年に執政官(コンスル)を務め、紀元前74年に没した。
オクタウィウス氏族はプレブス(平民)の家柄で、紀元前230年にグナエウス・オクタウィウス・ルフスが財務官に就任したことで歴史に登場する。ルフスの次男ガイウスの子孫は騎士階級にとどまったが、その玄孫が初代皇帝アウグストゥスである。長男の系統は紀元前205年に法務官、紀元前165年に氏族として初めて執政官を出し、さらに紀元前128年、紀元前87年と3代にわたって執政官を輩出した。この家系は代々コグノーメン(第三名)を名乗らなかった。ルキウスの父も祖父もプラエノーメンはグナエウスであり、紀元前87年の執政官グナエウスの子とする説と、弟とする説がある。紀元前76年の執政官グナエウス・オクタウィウスは従兄弟と思われる。裕福な家に生まれ、パラティウムの丘にある邸宅に住んだ。この邸宅は曾祖父で紀元前165年の執政官グナエウスが建てたものという。
経歴の初めには、ウンブリアのヌルシアとスポレティウムを結ぶ道路建設を、元老院の代理として監督した財務官ルキウス・オクタウィウスが碑文に記されており、これが本人と思われる。執政官就任の年と、当時のコルネリウス法が法務官から執政官までに3年以上を求めていたことから、遅くとも紀元前78年には法務官になっていたはずである。歴史家ブロートンは、暴力や脅迫で得た財産や金銭の返還を定めた法「オクタウィウス式」の作者はオクタウィウスではないかと推測している。
紀元前75年に執政官となった。選挙では、前年の執政官である従兄弟グナエウスの支援があったのだろうとされる。同僚は同じプレブスのガイウス・アウレリウス・コッタであった。就任当時のローマの政治的・経済的状況は非常に厳しかった。ヒスパニアでは、反乱を起こしたマリウス派の将軍セルトリウスに政府軍が敗れ、国庫は空になり、ローマは飢饉の危機に瀕していた。パンの不足で不安が広がり、ある日には両執政官が群衆から逃れ、フォルムから遠くないオクタウィウスの家に隠れなければならなかった。任期の終わりごろ、クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・クレティクスの法務官選挙を応援して聖道を歩いていた際に群衆に襲われたともいわれる。問題の解決のため、オクタウィウスとコッタはシキリア属州などから穀物を緊急に輸入した。また、エペソスで見つかった碑文によれば、両執政官はアシア属州の十分の一税の徴収を徴税請負人に請け負わせている。
任期の後は、前執政官権限でキリキア属州の総督となった。しかし紀元前74年の初めに、任地に着いてまもなく、あるいは着く前に死去した。ちょうど第三次ミトリダテス戦争が始まろうとするころであり、後任にはルキウス・リキニウス・ルクッルスが就いた。
同じ年に亡くなった人物
同じ地域に関係する人物
- Antonio Starabba di Rudini (1908年没)
- ヤン・フランス・ヴァン・ブローメン (1749年没)
- ルイス・バカロフ (2017年没)
- Elisabetha Fiorini-Mazzanti (1879年没)
- ミケランジェロ・チェルクォッツィ (1660年没)