伝記
フリードリヒ2世・フォン・ニュルンベルクは、1188年ごろに生まれたホーエンツォレルン家の一員である。ツォレルン家の当主としては、フリードリヒ4世・フォン・ツォレルンとも呼ばれる。「獅子」というあだ名があった。父は1192年ごろにニュルンベルク城伯となったフリードリヒ1世、母はオーストリアの伯コンラート2世・フォン・ラープスの娘ゾフィアで、兄にコンラートがいる。母ゾフィアは1218年ごろに亡くなった。
父は1200年ごろ(1201年とも)に亡くなった。そこでフリードリヒは、兄のコンラートとともに、ニュルンベルク城伯領をはじめ一族の領地を共同で治めることになった。フリードリヒは、1204年ごろからニュルンベルク城伯として扱われている。このころ、ホーエンツォレルン家は、領地の取得や婚姻によって、シュヴァーベンでの力を固めていった。
1218年(1214年とも)、ツォレルン家の領地が兄弟の間で分けられた。フリードリヒはフランケンの領地と城伯の地位を兄コンラートに譲った。コンラートは城伯の位に加えて、フランケンのアーベンベルク伯家の領地を得た。そこには、この家の先祖伝来の城とハイルスブロン修道院が含まれていた。フリードリヒのほうは、ツォレルン伯の称号と、ホーエンツォレルン城、シュヴァーベンの領地を保った。こうして1218年から亡くなるまで、ツォレルン伯の地位にあった。別の見方では、2人が父の遺産を共有していたのは1226年ごろまでで、その後に分けたともされる。フリードリヒはこの分割により、ホーエンツォレルン家のシュヴァーベン系の祖とみなされる。1231年の春には、ヴォルムスの帝国会議に参加した。この会議では、諸侯に有利な法令が出された。
フリードリヒはある伯の娘エリーザベトを妻に迎え、2人の子が生まれた。息子のフリードリヒ5世は、父の跡を継いでツォレルン伯となり、1289年5月24日に亡くなった。娘のゾフィーは、1270年ごろに亡くなり、ある伯と結婚していた。フリードリヒは1255年12月30日に亡くなったとされるが、1251年ごろとする記述もある。
同じ年に亡くなった人物
- ベルグテイ (1250年代没)
- トゥーラーン・シャー (1250年没)
- Sordello de Mantoue (1250年没)
- テレサ・デ・ポルトゥガル (レオン王妃) (1250年没)
- レオナルド・フィボナッチ (1250年没)
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