伝記
アルシャンボー9世・ド・ブルボンは、13世紀前半のフランスの貴族で、ブルボン領主である。「若き」の名で呼ばれ、ブルボンのほか、ダンピエール、サン=ジュスト、サン=ディジエの領主でもあった。1212年に生まれ、シャンパーニュ地方に起こったダンピエール家の出身で、この家は婚姻によってブルボンの領地を受け継いでいた。父は「大」と呼ばれたアルシャンボー8世で、後妻のベアトリス・ド・モンリュソンとの間の子である。
結婚について、1228年に父アルシャンボー8世と、花嫁の叔父にあたるユーグ・ド・シャティヨンとの間で、婚姻の契約が取り交わされた。相手はギー2世・ド・シャティヨンと、ヌヴェール、オーセール、トネールの女子相続人アニェス・ド・ドンジーの娘ヨランドで、実際の結婚は1232年よりあとのこととされる。二人の間には、1234年か1235年ごろ生まれたマティルドと、1237年生まれのアニェスの2人の娘がいた。
1242年、父アルシャンボー8世が亡くなった。8月23日にコニャで没したともいわれ、ギュイエンヌで戦って亡くなったともいわれる。アルシャンボー9世はその跡を継ぎ、同年11月の文書にはすでにブルボン領主として現れる。この年、ムーランの市民に対して、毎年の貢租を免除する一方で、代わりに「市民税」を課した。その額は、納める者の財産に応じて、1人につき2スーから6スーまでであった。
1248年、アルシャンボー9世は国王ルイ9世の十字軍に加わることにした。出発の前に遺言を作り、2人の娘を相続人と定めた。遺言の執行者には、叔父のギー・ド・ダンピエールと、妹ベアトリスの夫であるベロー7世・ド・メルクールを指名し、娘のアニェスを彼らに託した。この年、長女マティルドはブルゴーニュ公ユーグ4世の息子ウードと結婚し、アニェスは同じ公の息子ジャンと縁組を結んだ。アルシャンボー9世は妻ヨランドとともに国王に従って出発したが、艦隊は冬を越すためキプロスに立ち寄った。そこで軍に疫病が広まり、アルシャンボー9世も犠牲となって、1249年1月に亡くなった。日付は22日とも15日ともいわれる。妻ヨランドは生き延び、夫の遺体とともにフランスへ戻った。
ブルボン領主の座は、長女のマティルドが夫のウードとともに継いだ。次女アニェスは、のちにジャンと結婚し、1277年にアルトワ伯ロベール2世と再婚した。アニェスとジャンの娘ベアトリスは1272年に、ルイ9世の息子クレルモン伯ロベールと結婚した。このロベールは、カペー家の流れをくむブルボン家の祖であり、アンリ4世やルイ14世の男系の祖先にあたる。
同じ年に亡くなった人物
- 宋慈 (1249年没)
- ミハイル・ホロブリト (1249年)
- ユーグ10世・ド・リュジニャン (1249年没)
- ヤコポ・ティエポロ (1249年没)
- サーリフ (1249年没)
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