伝記
カルマダス(カルミデスとも呼ばれる)は、古代ギリシアのアカデメイア派(懐疑派)の哲学者である。アテナイのアカデメイアでカルネアデスの流れをくむ学徒として学び、のちに修辞学の教師としても名を知られた。生没年ははっきりせず、生年は紀元前168/167年とも紀元前164/163年とも伝えられ、没年は紀元前103年から紀元前91年のあいだ、あるいは紀元前95年ごろとされる。紀元前90年没とする記録もある。
出身はアレクサンドリアで、紀元前145年ごろにアテナイへ移る前はそこで暮らしていたらしい。アテナイではカルネアデスのもとで紀元前145年から紀元前138年までの7年間学んだとされる。一方で、クレイトマコスの弟子であったとも、ラリッサのフィロンの旧友で仲間であり、かつては教え子でもあったともいわれ、師弟関係については伝承が一様でない。フィロンがローマへ逃れる前にはその同僚だったという。
のちには自分の学校を開き、アテナイの体育場プトレマイオンで教えた。紀元前110年ごろにはアテナイで教えていたことが知られ、そのころの哲学者として重要な存在だったとみられる。紀元前103年まで影響力を保ったともいわれる。優雅な文体で知られ、アカデメイアに修辞学の教授を持ち込んだ人物とされ、多くの弟子がいたと伝えられる。
キケロは、カルマダスが並外れた弁舌と、ほとんど神のようだとまで評される記憶力を備えていたと記している。書物をまるごと暗記して暗唱できたともいわれる。キケロは『弁論家について』で、弁論家のルキウス・リキニウス・クラッススとマルクス・アントニウスがアテナイのアカデメイアでその講義を聞いたという設定を置いた。クラッススが財務官としてマケドニアから帰る途中にアテナイへ立ち寄った紀元前107年ごろのこととされ、クラッススが紀元前110年ごろ、カルマダスの指導のもとでプラトンの『ゴルギアス』を読んだことも知られている。ほかの弟子としては、アドラミュッティオンのディオドロス、タルソスのアポロドロス、マッロスのヘリオドロス、トラレイスのファノストラトス、アポロニオスという人物の名がフィロデモスによって残されている。
キケロが伝えるカルマダスの講義は、修辞学の教育をめぐるものである。同僚のクレイトマコスやハグノンと同様に、世間一般の修辞学校を、プラトンの『パイドロス』から借りた理由で批判し、真の弁論の教養は哲学の学派でしか身につかないと論じたという。哲学上の立場はフィロンと同様、穏健な懐疑主義だったらしく、二人がアカデメイアの第四の改革(第四アカデメイア)の基礎になったとも、カルマダスをその創始者とみる者がいたともされる。ただし、どこまでカルネアデスやクレイトマコスと異なる方向だったのかは確かめようがない。フィロンと並べて語られることから、クレイトマコスより長く生きたことはたしかである。
同じ年に亡くなった人物
- セクストゥス・ユリウス・カエサル (紀元前91年の執政官) (紀元前90年没)
- プブリウス・ルティリウス・ルプス (紀元前90年没)
- ディオニュシオス・トラクス (紀元前90年没)
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