伝記
シャルル=マリー・ギュスターヴ・ル・ボンは、1841年5月7日に生まれ、1931年12月13日に没したフランスの医師、心理学者、社会学者、人類学者、物理学者である。群衆についての分析で知られ、その思想は20世紀前半の社会心理学や政治思想に大きな影響を及ぼした。
1886年にパリ大学で医学博士号を取得したが医者とはならず、1860年代から80年代にかけては、ヨーロッパやアジア、アフリカを遍歴し、様々な分野の執筆を行った。早い時期の著作に、1866年の『見かけの死と早すぎる埋葬について』、1874年の『衛生学と医学に応用された人間の生理的生活』がある。1881年には『タトラ山脈紀行』を、1884年には『アラブ文明』を出版し、1886年には『ネパール紀行』と『インド文明史』を刊行した。1893年には『インドの文明』と『インドの建造物』を出している。普仏戦争ではフランス陸軍の軍医として救急車の運用部隊を編成し、ストレス下にある軍人の行動を観察して、様々な提案を行った。パリ・コミューンの破壊活動を目撃したことが切っ掛けとなり、関心は社会心理学へと向かった。
1894年に『民族進化の心理法則』を出した翌年の1895年、『群衆心理』によって、心理学者としての名声を確かなものとした。同書でル・ボンは「今われわれが歩み入ろうとしている時代は、群衆の時代である」と論じた。ここでいう群衆とは、構成員すべてが意識的人格を完全に喪失し、操縦者の断言・反復・感染による暗示のままに行動するような集合体である。産業革命以後の社会現象の特徴は、人びとをこうした群衆心理下に追いやるものだと論じた。『群衆心理』は20世紀の政治思想に重要な役割を果たし、ムッソリーニ、ヒトラー、スターリン、毛沢東らが、その思想に影響を受けていたとされる。ヒトラーは『我が闘争』で、ル・ボンが提唱したプロパガンダの技術を取り入れたという。1898年に『社会主義の心理』、1902年に『教育の心理』、1912年に『フランス革命と革命の心理学』を著した。1905年の『物質の進化』や1907年の『力の進化』など、物理学に関する著作もある。哲学科学叢書の監修者も務めた。
政治に関する発言も残した。1917年のレーニンらのロシア革命は必然的に独裁政治になると批判し、1923年の著書でもボルシェヴィズムを批判した。1924年の論文では、イタリアのファシズムの台頭は孤立した現象ではなく、群衆の指導者が暴力的な出来事を通じて権力を掌握し、のちにそれを自らの利益のために没収する同じ仕組みで他国にも広がる危険があると警告した。
一方で、批判の対象にもなっている。1879年の論文では、女性の頭蓋骨の容積は男性よりゴリラに近く、女性の知的劣等性は明白だと結論づけた。1890年には、女性に男性と同じ教育を与えることに反対した。社会進化論的人種主義の論理を広めることにも貢献したとされ、政治哲学者ローレン・ジェルビエは「ギュスターヴ・ル・ボンの政治学は人種の科学である」と述べている。没した1931年にも『歴史哲学の科学的基礎』を出している。
同じ年に亡くなった人物
- アルヴィン・ベルガー (1931年没)
- チャールズ・アルジャーノン・パーソンズ (1931年没)
- リア・デ・プッティ (1931年没)
- トム・ロバーツ (画家) (1931年没)
- トーマス・エジソン (1931年没)
同じ地域に関係する人物
- アルマン・トルーソー (1867年没)
- イヴ・サン=ローラン (2008年没)
- ジャン=ヴィクトル・ポンスレ (1867年没)
- アントワーヌ・コワズヴォ (1720年没)
- エドモン・ジャベス (1991年没)