HISTORICAL PERSON · 1231年没

ヴァルデマー若王

デンマーク共治王。狩猟中に父と共に敵に捕らえられ長期幽閉されたのち解放されたが、結婚2年後に狩猟の事故で急死した。

生涯
1231年没
死亡地
—
出生地
デンマーク王国(中央ユラン地域 / デンマーク)
出典
世界地図
デンマーク王国(中央ユラン地域)

伝記

ヴァルデマー若王は、1209年に生まれ、1231年11月28日に没した、デンマーク王ヴァルデマー2世の共治王(在位1215年〜1231年)である。ヴァルデマー3世とも呼ばれる。シュレースヴィヒ公も、1209年から1215年まで務めた。父はデンマーク王ヴァルデマー2世、母はその最初の妃ダウマーで、2人の長男として生まれた。母は、敬虔さと善良さから、デンマークの人々にたいへん人気があったが、1212年に、2人目の子を産むときに亡くなった。若王は、この結婚のただ1人の生き残りの子だった。

ヴァルデマー2世は、その2年後にポルトガルのベレンガリアと再婚した。この結婚で、異母弟妹にあたるエーリク、ソフィア、アーベル、クリストファの4人が生まれた。新しい継母のベレンガリアは、美しく誇り高い女性だったが、人気がなく、母のダウマーときわめて対照的だった。ベレンガリアも、1221年に出産で亡くなり、ヴァルデマー2世は、その後は再婚しなかった。1215年に、ヴァルデマー2世がサムセー島に招集したデンマーク議会で、全員が若王に誓いを立てることに同意し、まもなくヴィボーの議会で、共治王に選ばれた。同時に、シュレースヴィヒ公国を、異母弟のエーリクに譲った。1218年夏にシュレースヴィヒで行われた大きな祭典では、15人の司教と3人の公爵が出席し、若王は聖油を注がれて、シュレースヴィヒ大聖堂でデンマーク共治王として戴冠した。

1223年、若王は父とともにリュー島で狩りをしたが、2人の王は、シュヴェリーン伯ハインリヒ1世に捕らえられた。両王は、1224年と1225年に、ダンネンベルク城の塔に投獄された。ハインリヒ1世は、釈放の条件として、デンマークが20年前にホルシュタインで征服した領地の返還を求めた。デンマークの使節はこの条件を拒み、宣戦布告した。両王が投獄されているあいだに、ドイツ内の領地のほとんどがデンマークから離れた。両王を奪い返すために軍が送られたが、1225年にメルンで、デンマーク軍は敗れた。ヴァルデマー2世は、ドイツに領土の割譲を認め、多額の銀貨を支払い、ハインリヒ1世に復讐しないと約束して、次男のエーリクが身代わりに幽閉された。若王は、1226年のイースターに、釈放された。

1229年6月に、ポルトガル王アフォンソ2世の娘で、継母ベレンガリアの姪にあたるレオノールと、リーベで結婚した。結婚は、ヴィボー司教ゴナーの仲介で取り決められ、司教は夫妻を父親のように愛した。レオノールは、1231年8月28日に出産で死去し、結婚して2年しかたっていなかった。生まれた子もまもなく死んだ。その3か月後の11月28日、若王は、カロンボー近くのレフスネスで狩りをしているときに、誤って射られ、死去した。足か脚に矢が当たったと伝えられる。若王は、その温厚さと優しさを称賛され、非常に人気があった。父王とともに捕虜になったときに書かれたラテン語の哀歌は、最高の賛美の言葉で若王を述べている。リングステズの聖ベント教会に、妃レオノールの隣に葬られた。父王は、その後、次男のエーリクを共治王とし、10年後にヴァルデマー2世が死ぬと、エーリク4世が王位を継いだ。

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