HISTORICAL PERSON · 980年代没

ハーラル1世 (デンマーク王)

デンマーク王で「青歯王」と呼ばれた。デンマークとノルウェーを統一し、960年ごろ洗礼を受けた。名はブルートゥースの語源にもなり、イェリング石碑にその功績が記される。

生涯
980年代没
死亡地
ポーランド共和国(ヨムスブルク)
出生地
デンマーク王国(中央ユラン地域 / デンマーク)
出典
世界地図
ポーランド共和国(中央ユラン地域)

伝記

ハーラル1世ゴームソンは、青歯王の名で知られるデンマークの王である。父はゴーム王、母はテューラ・デーネボーズで、在位は958年ごろから985年ごろとされる。生年は不明で、没年も986年ごろとも987年ともいわれる。「青歯」という渾名は同時代には知られておらず、当時は父の名をとって「ゴームの子ハーラル」と呼ばれていた。この渾名が最初に現れるのは、1140年ごろまでに書かれたラテン語の『ロスキレ年代記』で、由来は諸説ある。「青い」は古ノルド語で「暗い、浅黒い」も意味するため、浅黒い首領を指すとの説や、歯が傷んでいた、あるいはブルーベリーをよく食べて歯が青く染まったなどの推測がある。青い衣を着て王の威厳を示したという説もある。

ハーラルの業績を伝える最も重要な史料が、世界遺産イェリング墳墓群にあるルーン石碑である。ここには、ゴームが妻テューラを偲んで建てた第1石碑と、ハーラルが両親のために建てた第2石碑がある。後者は高さ約2.4メートルの三角錐型で、スカンディナビア最古のキリスト像などが彫られ、当時は彩色されていたとみられる。碑文には「王ハーラルは、全デンマークとノルウェーを手中にし、デーン人をキリスト教徒となした」とあり、デンマークの統一、ノルウェーの支配、デンマークのキリスト教化という三つの功績が刻まれている。ノルウェー北西部の有力者であるラーデのヤールたちと手を結び、ノルウェーにも影響力を及ぼしたといわれる。

キリスト教の受容は、ザクセン公家が政治的に入り込んでくる状況への対応でもあった。洗礼の時期は960年ごろとも、ブレーメンのアダムの記録では966年ともされ、すでに948年に半島の三つの都市に司教が置かれていたらしい。洗礼の話として、家来たちがキリスト教の神と古い神々のどちらが強いかを議論した際、ポッポという者が、焼けた鉄を素手で運んでも無傷であることを示し、これを見た王が洗礼を受けたと伝えられる。『ヘイムスクリングラ』は、オットー皇帝との戦いに敗れた王が皇帝との会見の際にポッポの奇跡を見て、全軍とともに洗礼を受けたと語るなど、伝承の内容は一様でない。実際には、長い時間をかけたキリスト教化の一部であり、王は王権の強化にも利用したとみられる。965年には、皇帝がデンマークへの主張を公式に放棄したとされる。

ハーラルは建設事業でも知られる。デンマーク南の境界線であるダーネヴィアケ堡塁の補修、トレレボー円形要塞の建設、長さ760メートルのラウニング・エンゲ橋の建設が、彼の治世のものとされる。シェラン島やスコーネ地方など東部も支配した。晩年、息子のスヴェン(のちの双髭王)が反乱を起こし、王はユムネに追われ、戦いに敗れて傷を負い、逃げ込んだ森で死んだと伝えられる。遺体はロスキレの教会に運ばれ、キリスト教式に葬られた。のちの『王妃エンマ讃頌』は、父が息子を妬み、軍が父を見捨てて息子を支持したと記す。スウェーデン王オーロフの娘ギュリズと結婚し、子にスヴェン1世と、のちノルウェー王オーラヴ1世らと結婚した娘スュリがいる。

近年では、この王の名は通信技術ブルートゥースの語源としても知られる。デンマークとノルウェーを交渉によって平和的に統一した事績にちなむもので、そのロゴには王の頭文字にあたるルーン文字が組み合わされている。

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