伝記
リキサ・ア・ダンマークは、エリク家のスウェーデン王エリク10世の王妃で、エリク11世の母である。生まれた年は1178年から1182年のあいだとされ、1180年ごろといわれる。生まれた地も、リングステズともロスキレとも伝わる。1220年5月8日に没した。デンマーク王ヴァルデマー1世と、ミンスク公女ソフィヤ・ウラジミロヴナの娘である。リキサという名は、もともとロタリンギア・ブルグントの女性の名であり、母方の祖母であるポーランドの公女リクサにちなんで名づけられた。
1210年ごろ、スヴェルケル2世を廃位して新しく王位についたエリク10世は、これまでスヴェルケル家を支持してきたデンマークと、和平を結ぼうと考えた。エリク家は、ノルウェーの支持を受けて、デンマークとは敵対してきた。このため、デンマーク王ヴァルデマー2世の妹であるリキサが、エリク10世と結婚することになった。後の世に伝わる民謡によると、リキサはスウェーデンの岸に着いたとき、馬車ではなく馬に乗るよう求められたことに驚いた。生まれた国のデンマークでは、馬車に乗るのが普通だったからである。しかし、スウェーデンの貴族の女性や女官は、リキサが自分の習慣を通そうとするより、スウェーデンの習慣に従うよう促した。
夫の存命のあいだ、リキサには娘しか生まれなかった。1216年にエリク10世が没したとき、リキサは身ごもっており、夫の死後に、ただ1人生き残った息子のエリク11世を産んだ。しかし、エリク10世の遺族はスウェーデンから追放され、スヴェルケル家のヨハン1世が王位についた。リキサはデンマークで没し、息子の即位(1222年)も、娘たちの結婚も見ることはできなかった。リングステズに葬られた。リキサ自身について具体的にわかっていることはないが、子孫に彼女の名がよく付けられていることから、人気があったとみられる。
子には、ロストック領主ハインリヒ・ボルヴィン3世・フォン・メクレンブルクと結婚したソフィア、伝承ではニルス・シクステンソンと結婚したというマルタ、ビルイェル・ヤールと結婚して、のちの王ヴァルデマール1世とマグヌス3世の母となったインゲボリ(1212年ごろから1254年)、ポメラニア公と結婚したともいうマリアンネがいる。息子のエリク11世(1216年から1250年)は、スウェーデン王(1222年から1229年、1234年から1250年)となった。
同じ年に亡くなった人物
- ギラルドゥス・カンブレンシス (1220年(推定))
- ティボー1世 (ロレーヌ公) (1220年没)
- ジョフロワ1世・ド・ヴィルアルドゥアン (1220年代没)
- サクソ・グラマティクス (1220年没)
- カイカーウス1世 (1220年没)
同じ地域に関係する人物
- Tage Henriksen (2016年没)
- ヤアアン・ローズ (1888年没)
- Laurits Andersen Ring (1933年没)
- Harry Larsen (1974年没)
- アブサロン (1201年没)