HISTORICAL PERSON · 1218年没

ロベール2世 (ドルー伯)

第3回十字軍でアルスフの戦いやアッコン攻囲戦に参加し、帰国後はイングランドと戦った。アルビジョワ十字軍にも加わり、ブーヴィーヌの戦いではフィリップ2世軍の左翼を指揮した。12子をもうけた。

生涯
1218年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ロベール2世・ド・ドルーは、ドルー伯、ブレーヌ伯、ブリー伯をつとめたカペー家の傍系の諸侯である。1154年ごろに生まれ、1218年12月28日に亡くなった。父はドルー伯ロベール1世、母はブレーヌ女領主アニェス・ド・ボードモンで、その存命の長男である。祖父はフランス王ルイ6世にあたる。小ロベールとも呼ばれた。父からはドルー伯領やブリー=コント=ロベールなどを、母からはブレーヌ伯領やフェール=アン=タルドゥノワなどを受け継いだ。

1177年か1178年に、ブルゴーニュ公家の流れをくむマオー・ド・ブルゴーニュと結婚したが、子がないまま、近い血縁を理由に1180年か1181年に結婚は無効とされた。1184年には、ドルー伯となり、同じ年に、クシー領主ラウル1世の娘ヨランド・ド・クシーと結婚して、12人の子をもうけた。

1190年に第3回十字軍に参加し、アルスフの戦いと、1191年のアッコン攻囲戦で名をあげた。1193年の終わりには、リチャード1世がドイツで囚われているあいだに、ナノンクールの城を奪った。フランスに帰国したのち、1195年から1198年までイングランド王国と戦った。1202年にもノルマンディーで戦い、1206年にはフェール=アン=タルドゥノワの城を築かせた。1209年から1210年には、軍を率いてアルビジョワ十字軍に加わり、テルムの包囲に加わった。ブローニュ伯との争いを続ける弟のボーヴェ司教フィリップを助け、1214年のブーヴィーヌの戦いでは、フランス王フィリップ2世の軍の左翼を指揮した。13世紀の初めには、ブレーヌにフォリ・デギュモン城を築いた。長方形の城で、ヴェル川の谷と町を見下ろし、細長い城が断崖に沿っていた。台地側は深い森におおわれ、人工の深い堀で三方を守られていた。

ロベール2世とヨランドは、ブレーヌのサン・ティヴェド修道院付属教会にある一族の霊廟に葬られた。子には、ドルー伯ロベール3世、ブルターニュ公となったピエール・モークレール、ランス大司教アンリ、マコン伯ジャン、フォントヴロー修道院長ジャンヌらがいる。娘のエレオノールはシャトーヌフ=アン=ティムレ領主ユーグの妻に、イザベルはピエルポン領主ジャン2世の妻に、アリックスはサラン領主ゴーシェ4世の妻に、フィリッパはバル伯アンリ2世の妻に、アニェスはオーソンヌ伯エティエンヌ2世の妻に、ヨランドはウー伯ラウル2世の妻になった。ほかに、ジョフロワがいた。

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